悲しみよ、ようこそ。

参加していたセミナーで興味深いショップのことが取り上げられていたので、寄ってみることにした。恵比寿で夕方だったので、ケータイのGoogleマップで九十九らーめんを検索し、以前から気になっていたチーズラーメンを食した。それから恵比寿ガーデンプレイス内にあるそのお店へと向かい、クリスマスのイルミネーションがたまらなく感傷を誘うのだが、ウェスティンホテルの前の横断歩道を渡りきったあたりでケータイが震えた。

その日は嫁とキャリーケースに入れた猫と一緒に家を出て、かかりつけの動物病院で別れた。休憩中にメールを確認すると、肺に水がたまっていて、200ccぐらい抜いたとのこと。電話にて状況を確認すると、検査などをして今後の治療方法を検討するとのことで、夕方6時にふたたび迎えにいくとのことだった。肺の水を抜いたせいか、前日よりも楽になったようだと聞いて少し安心した。

現在の私の嫁は、いまから15年前に渋谷区の公団住宅に住んでいて、私がはじめてそこを訪れた時、その猫はすでにいた。それからさかのぼること4年前の夏に、新宿西口の公園で1匹で鳴いていたらしい。現在の私の嫁が当時働いていたデザイン事務所がそのすぐ近所にあり、しばらくはそこで飼うことにしたという。その後、事務所が解散することになり、元社員の何人かの家を経由した後、結局現在の私の嫁が飼うことになったらしい。

それ以来、いつも一緒に暮らしてきた。私はペットを飼ったことがなかったし、おそらく自分とは縁はないのだと思っていた。いつか私たちの住まいに北海道から父が泊まりにきた時に、猫をかわいがる私を見て驚いていた。もうかなりの高齢である。次第に体はやせ、動くことも少なくなっていった。数か月前からは具合が悪くなることも多く、病院通いを続けていた。すでにそれほどよい状態ではないことは、お医者さんに聞かされて分かっていた。だから、残り少ない日々をできるだけ苦痛が少ないように過ごさせてあげたかった。しかし、言葉を話すわけではないから、何をいちばん望んでいるのかは、察することでしかできない。前日は雨だったが、かなり息苦しそうにしていた。しかし、かかりつけの病院はお休みである。次の日は元々は病院に連れていく予定だったのだが、私の仕事の都合がつかず、最近は薬のおかげか状態もそれほど悪くないように思えたので、連れていく日を延ばすことにした。嫁が仕事に行っている間に、私が翌週はじめまでの薬をもらってきた。しかし、やはりつらそうだったので、午前中につれていき、私はそのまま仕事に行くことにした。

午後6時を少しすぎたあたりの恵比寿ガーデンプレイス、ウェスティンホテル前、ケータイのディスプレイには嫁の名前が表示されている。電話に出ると、嫁が「いま話できる?」と前置きをした上で、猫が死んでしまったことを告げた。

そう遠くないうちにこの日が来るだろうとは思っていたし、その日のためのシミュレーションもしてきたはずである。毎年飼っていた子猫のカレンダーを、今年は注文していなかった。しかし、この日だとは思わなかった。朝は具合がよくなっているようで、ちゃんとごはんも食べていたし、トイレもしていた。私の朝食のパンをなめていたので、デジカメで動画を撮影した。その1時間後に動物病院で別れ、それが最後になった。

私と嫁との関係が最悪で、私がほとんど家に帰らないような時も、この猫がいてくれたおかげでなんとかなった。お互いに会話をすることすら難しいような時、猫のお世話の役割分担によって、かろうじて繋がっていた。もういなくなってしまった以上、私がちゃんとやらなければならない。

花を買い、箱の中に敷き詰めた。もう動かなくなった体、その毛を撫で、肉球にふれた。嫁は病院につれていったことについて後悔もあるようだ。しかし、できることをすべてやった。楽しい思い出がたくさんある。私はただ話を聞き、うなづいた。

タクシーで霊園に行き、お坊さんに預けた。線香をあげ、それから植物園を歩いた。どうということのない会話をして、花や木の美しさを語り、ケータイで写真を撮ったりした。近くのお蕎麦屋さんでかなり早い昼食にした。このような当り前な日常の意味の濃さは、おそらく贈り物なのだろう。このような時間をこれから積み重ね、おそらく共に年老いていくのだろう。私は移り気で心がすぐにフラフラしてしまい、そんなところを嫁以外の女性からも咎められたりもするが、たとえそうだとしても、すべてはいい意味でなるようになるしかないのだ。そんな穏やかで重く、厳かだが爽やかな気分だったのだ。嫁はバスではなく歩いて帰りたいというので、そうすることにした。

私が仕事に行っている間に、霊園からお骨が届いた。嫁は私の前では無理に笑おうとしたり平気を装っていたが、仕事の合間に電話した時に、明らかに涙声だったので、私はこんなことではいけないと強く思った。しかし、感情を偽らずに泣きたいなら気がすむまで泣いてしまうのが一番らしいのだ。関連するサイトなども随分見たが、やはりそういうことが書いてあった。私もつらい気持ちになる。いなくなったということがよく理解できない。しかし、嫁のつらさはといえばその比ではないのだ。私がしっかりとどーんと構えていなくてどうするというのだ。強くならなければいけない。

これからこの街で暮らし、また、それ以降も大切なものを守って生きていく。そのために乗り越えなくてはいけない課題がたくさんあり、それにはまだまだ足りない。苦しいとかつらいとかそんなことは言いたくもないし、死にたけりゃ死ねばいいんだ。しかし、生きていくことを選んだのならば、無様に葛藤しながらでも足掻き、求め続けていかなくてはならない。それはけして格好悪いことではなく、それを極めることが美にすらもなりうるということを、道重さゆみが教えてくれた。アイドルにもかかわらず考えついたセクシーワードがアワビという、極度にスッペシャルな存在である。久住小春卒業コメントも、例によってモ(狼)板でのレポートでしか知らないが、素晴らしかった。電車の中でケータイの画面みながら嗚咽しているスーツ姿の男性という、かなり痛い状態に私をできるのは、この人をおいて他にはいないだろう。それはそうとして、松任谷由実ではないが、やはり目に映るすべてのものはメッセージなのだ。

困難が立ちはだかるが、それに対して無様に足掻く。それが生きるということである以上、そうやっていこうじゃないか。嫁と居酒屋で話し、共闘の方向性を話し合った。久しぶりに一緒に遠くへ出かける。目的は私の課題解決のための自己啓発的な行動なのだが、それを知りつつ一緒に行きたいと言ってくれたので、残りの時間は気分転換に費やしたい。弟にも時間が合えば会っておこう。私は妹の結婚式以来1ヶ月ぶりだが、嫁にとっては久しぶりだ。これはきっと天国からのプレゼントに違いない。これからどんどんよいことが増えていく。私の根本的な性分は変わりそうにないが、それでもいいのなら、それがいいのなら、すべては正しく真っ直ぐと続いている。つまりはそういうことなのだろう。

というわけで、楽しみにしてくださっている方々には大変申し訳ないのだが、今週の「今夜もうさちゃんピース」テキスト起こしはちょいとばかり遅れる予定でございます。お許しください。おやさゆみん。

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Last Broadcast。

人はある日、突然にして恋におちるが、気がついた時にはすでにもう手遅れである。その誘惑から逃れることはできない。なぜなら、そこには「生きて」いることの充足感への果てしない期待が含まれているからだ。そして、我々はいつか死ぬのだということを意識し、おそらくここ最近では初めて、出来ることなら長く「生きて」みたいものだ、などと思うものなのだ。そんなことはにわかには信じられないだとか、自分には関係のない話だと思う方もあるだろう。しかし、これは不思議だが本当なのだ。

よくもまあここまで遠回りしたものだ、とかそういうことを言い出す人がある。しかし、それは遠回りでもなんでもない。そこまでかかった時間の中に詰まっている経験こそが、いま、ここに導いた。そのどれひとつが欠けていたとしても、同じいま、ここはありえなかった。こうして手に入れることができた正しさだが、他人の目からはよく理解してもらえないことがある。しかし、そんなことはもう気にすることはない。分かったという点で、あなたはすでに一歩も二歩もリードしているのだ。迷うことはない。大丈夫だ。いつだって、孤独だって一生懸命やってきたじゃないか。誰にも分かってもらえないとしても、少くとも私はそれをちゃんと知っている。

それでいいのだと言ってもらえた時に、いったい何が起こっているのか分からなかった。自分にはそんなことは無関係なのだと思っていたし、いつしかあきらめて、痛みを感じないように、そんなことばかりに長けてしまった。それでも私には一瞬に分かった。あなたが私の髪を撫でた時に、そうだ、これこそがそうなのだと。

不機嫌で憂鬱な平成ニッポンは、我々が「生きる」ことそのものが、まるでちっぽけで意味がないことのように思わせるように動いている。いつしかそれが当たり前のような気分になり、似た者同士で首の締め合いか不幸自慢に明け暮れる。空に太陽はちゃんとあり、恋人たちはおカネもそんなにもないのに、コートのポケットの中でお互いを温めあう。綺麗な月だよ、出ておいで。

さようなら、残酷な世界。夜明けのスビーカーからエルヴィス・コステロが呟く。あなたはどこらへんだろう。共に年老いていくのだ。いつか夢に見たあの幻の町は、実はこんなに近くにあったとはね。あなたと出会わなければ、これだけ時間が経たなければ、けして分かりはしなかっただろう。

もう声を上げて議論をすることもないだろう。違う価値観で話し合う奴らは、結論を出すよりも、それ自体をゲームとして楽しんでいるのだ。いつか死ぬ。かわいそうな人たちが大勢集まり、そして私が話しはじめた。愛と笑いの夜が、すべてをやさしく癒していく。すべてが等しく思え、憎悪の対象にすら憐れみの心を持つことができる。いつも、いつまでもそんなふうでいられることが出来たならば。

あなたにこの季節の東京を見せてあげたかった。水上バスや串カツ屋さんのお礼だけじゃなくて、あなたが私に「生きる」ことの本当の意味の、そのいくつかを教えてくれたから。ネオンをちりばめたら、まるでバースデーケーキだ。ロマンチックな気分やいやらしめな意味ではなく、罪深さや疚しさを一切意識することがなく、私をあんなふうに感じさせてくれたのは、あなたが初めてだった。これがどれ程の意味を持つことなのか、まだあなたには分からないだろう。いくら勘が鋭いからといったって、この意味が分かるには経験が少なすぎる。その分からなさが羨ましくて、眩しすぎる。この間、PARCO調布店地下の食品売場で、実演販売のたこ焼の匂いをかいだだけで、胸が苦しくなった。あの夏の終わりの道頓堀は楽しかった。いつか青春を振り返る時、美しく心に灯すだろう。吐き気がするほどロマンチストだぜ。

成長することとは夢を捨てていくことではなく、必要のない物を捨て、核心に近づいていくということなのだ。見えてくればくるほど、何が必要ではなく、何が本当にかけがえなく大切なのかが分かってくる。これからはおそらくそのような作業に入っていくのだろう。くだらない物事との訣別もあれば、否応なしに訪れるお別れもある。しかし、本物の想いは永遠であり、心で「生きる」。あなたにそのことを身をもって教えてあげられるだけの、深く大きな人になりたいよ。間に合うかどうか分からないけれども、やってみるつもりだ。

いつでも呼び出してくれてもいいのだが、それがないということは、あなたが順調で問題がないということなので、それはとても嬉しい。あなたのような素的な女の子が泣いているような世界ならば、いつでも私がカラフルに塗り替えるのに。どうやら、その必要はないみたいだね。気にしないでくれたまえ。

余談だが、先日の久住小春ゲスト回の「今夜もうさちゃんピース」において、素で笑い転げる道重さゆみちゃんがかわいすぎて好きすぎてつらい。藤本美貴の披露宴写真でのピンクの服も超かわいかった。アイドルはファンそれぞれの脳内で「生きる」ファンタジーだが、道重さゆみのことを知れば知るほど、私の理想すぎておそろしくなってくる。まさに女の子の最高傑作である。冬の切なさが嫌いではないと言っていたさゆみさんだが、ホットソイラテの表面の泡の部分にだけ口をつけ、そんな自分に浸っているという、そのような完璧なイメージを心に描いて、歩いていくのだ。このブルーズは、そんな感じにとてもよく似ている。

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マイ・ホームタウン 旭川のことなど。

藤本美貴の故郷である滝川市と同様に、「北海道の真ん中らへん」に位置するのが旭川市であり、そこには映画などでも有名な旭山動物園以外に私の実家もあったりする。藤本美貴在籍時にモーニング娘。がコンサートで訪れた旭川市民文化会館には、ロダン展や佐野元春のコンサートを見に行ったことがある。

11月になってから最初の週末に、日本航空を使って帰ってきた。妹の結婚式に出席するのと、その後の母方の親戚たちと温泉宿に泊まりにいくための2泊3日である。その詳細については、9月9日あたりに「愛と笑いの夜」という題名で記事にした。旭川空港にはスカイマークエアラインなる航空会社も就航しているようで、こっちを使うと早割だと1万円を割る料金で来れてしまうということを知った。また、空港ロビーには手造りの家具がいくつか展示され、驚くような金額がついていた。たまに都内でも旭川の家具展のようなものが開催されているが、住んでいる頃は家具が有名だなんていうことは意識したことがなかった。土産物売場もとても充実している。昨年は入荷未定なぐらい大人気だったカルビーの北海道限定ポテトスナック、じゃがポックルは、お1人様2個限定ではあったが、帰るようになっていた。また、スポーツブランドのPUMAのロゴをKUMAとパロディーにしたグッズも多数販売されていた。お手軽なお土産の定番であるご当地ストラップだが、こちらはキティーちゃんやスティッチやリラックマなんかとラーメンや熊の木彫りや日本ハムファイターズがコラボレートしているものが多数ある。中でも熊の木彫り物が増えている印象があるのだが、よくよく見てみると、熊の木彫りがラーメンやイクラ丼を食べているという地味に面白いやつがあり、個人的にツボだったので、人気キャラクター物に混ぜて1個だけ買っていった。すると、ケアベアだとかスージーズーだとかが大好きなオシャレ女子美大生が真っ先にこれを選んで、さっそくケータイに付けてくれていた。これは流行る。

父が運転する車で実家に向かう途中、まるで絵ハガキか写真集で見るような美しい自然の風景が続く。住んでいた頃はただの田舎にしか思えず、東京のネオンライトだとか超高層ビル群などの方にむしろ憧れていた。途中でスーパーに寄り、魚介類の充実ぶりに驚く。東京だと細かく刻まれてパック詰めになっているようなやつがそのまんま売られていたりする。いや、確かに昔からこうだった。店内に設置されたTVモニターでは日本ハムファイターズの名場面集が流れ、それに小さな女の子がじっと見入っている。

小学校4年生までは父の仕事の関係で、日本海側の小さな町にばかり住んでいた。当時、旭川には母方の祖父母が住んでいたので、たまに家族で遊びにきていたのだが、とにかく大都会というイメージだった。何せ人が多いし、当時住んでいた田舎の町には存在しなかった下りのエスカレーターが怖くてたまらず、どうしてもうまく乗ることができなかったのを覚えている。

小学5年生から旭川に引っ越してきたのも父の転勤のためだったのだが、とにかく仲のよかった友達と離れなければいけないのが嫌すぎて泣いた。そして、転校してみると、とにかく勉強のレベルが高くてついていけない。学級の学力トップクラスの連中に至っては、話している言葉の意味がまず分からない。担任の教師は授業中に将来どこの大学に進学したいかというようなことを聞いてきて、北大とかラサールとか答えるとほめられる。答えられないとバカにされる。かと思えば、学校ではほとんど口を開かない極端に影の薄い者や万引きで捕まって何日も学校に来なくなる者もいたり、あらゆる意味で幅が広い。そんな日々の中でも仲のよい友達はできていって、プロレスやラジオや芸能人の話などで盛り上がっていた。なんとなく音楽にめちゃめちゃ詳しい奴という地位を次第に固めていき、中学、高校と進んでいった。当時、音楽や文学や現代思想、さらにはサブカルチャー的な雰囲気にハマっていくと、ごく自然に東京を目指さざるをえない。いつしか目標はそこに定まっていた。音楽雑誌に投稿したり、自分でミニコミ誌を作って全国に通信販売したり、勝手に世界初の菊池桃子専門誌なるものを発行してオリコンに載せてもらったりしていたら事務所の人から電話がかかってきてこっぴどく怒られたりしていた。普通に学校に行って、放課後は本屋さんの上にあったジャズ喫茶で友達の恋愛論議につきあったりしていたのだが、心は上京後のことでいっぱいだった。とにかく早くこの街から出ていきたかった。

旭山動物園にはよく行っていた。引っ越した当時の家からは自転車で1時間もかからずに行くことができた。高校2年のゴールデンウィークなんかは、女子3人と男は私1人きりで自転車で行ったりしたものだ。その中にお目当ての子がいたからという理由に過ぎないのだが。当時は遊具もたくさん設置されていて、コーヒーカップだとか観覧車だとかおサルの電車だとかがあった。しかし、あくまで旭川市民や道北の人々のための動物園であり、札幌の円山動物園に行った時にはスケールの違いに驚かされた。なので、東京にいながら、何やら旭山動物園がすごいことになっているらしいという噂を聞いた時は、正直いって信じられなかった。昨年、13年ぶりに帰省したついでに行ってみたのだが、平日の午前中だというのに駐車場はすでに満車、入口付近は昔と変わらずそのままなのだが、園内は大変充実していて感動した。これならばまる1日いられると思った。全国各地から観光客や修学旅行の学生たちも来られているようで、さまざまな方言が飛び交っていた。旭川に本州から修学旅行の学生たちが来るなんて、昔では考えられなかった。しかし、内容を見て納得である。

市の中心から少し離れた永山の方にショッピングセンターが出来ているということで、昨年はこちはにも行ってみた。ラーメン村のような物もあり、大変賑わっていた。ここでも制服を着た修学旅行生のみなさんが、どう見てもくだらないラーメン丼の形をしたストラップなどを並んで買っていたりした。すごいことになっている。その一方で、引っ越したばかりの頃に住んでいた豊岡のあたりなどは、当時と比べるとかなり寂れていて、よくカセットテープを買っていたくすりのツルハの並びなどは、すべてシャッターが閉まっていた。また、駅前の買物公園のあたりもかなり姿を変えている。私がよくレコードを買ったりしていたミュージックショップ国原はローソンに変わっていた。かつてファッションプラザOKUNOの地階にあった北海道最大手のCDショップチェーン、玉光堂は別の建物に移っている。私の記憶の中の旭川には欠かせない焼とうきびの屋台もなくなっていて、かつて長崎屋があったあたりなどは、オープンカフェ風にオシャレな感じに変貌していた。西武百貨店が撤退するという話があったのだが、それ以前にすぐ近くの大手百貨店、丸井今井が閉店したため、結局続けることにしたようだ。駅地下のステーションデパートもとっくに無くなってしまったとのことなのだが、現在はどうなっているのだろうか。

離れてからしばらくして帰ってみると、なんていい街なのだろうと思う。周囲には大自然があり、その一方で豊かな精神生活に足るだけのアメニティーも十分にある。昔ならば否定していた部分がそのままに良い。ここに至った経緯というのが、やはり道重さゆみなのだ。

「生きる」ことに迷い、暗闇を手探りで歩いていると、突然、道重さゆみが私の目の前に現れ、すべてを鮮やかで充足したものに変えてしまった、というストーリーについては、もう何度となく書いているので、ここでは割愛する。道重さゆみのことをよりよく知りたいと思い、彼女がよくラジオなどで嬉しそうに話している山口県宇部市を訪れることにした。この時の感動を忘れることはできない。とにかく、当時の私に欠けていたもののすべてを理解したような気になった。それは田舎のきれいな空気であったり、夜空に星がきれいだったり、すがすがしい朝の風景だったりしたのだが、それと道重さゆみが話す地元や家族への愛着とが重なり、人生で大切なものとはそういうものなのだということが分かった。いわゆる聖地巡礼といわれるその行為はその後、幾度か繰り返された。そして、今度は私じしんがそれを体現していかなければいけないと思った。実家には諸事情により、気まずい案件もなきにしもあらずで、なんとなく帰りにくいような雰囲気になっていた。しかし、ここをきちんとしなければいけないのだろうと決心し、昨年、帰ることにした。心配はなにもいらなかったのだということが、すぐに分かった。私の久々の帰省が直接のきっかけとなって、妹の当時の交際相手がはじめて家に挨拶に来て、それから14ヶ月後に結婚することになった。愛と笑いの夜が訪れた。

今回、本当に久しぶりにお会いした札幌の親戚のみなさんは、いとこたちが会いたがっているのでぜひ遊びに来てほしいと言ってくれた。もうすでに帰省することは特別な行事ではないし、飛行機を使えばわずか1時間半で行けてしまう。別にいつでも行けてしまうので、たとえ1泊2日だって日帰りだっていいのではないかという気分になってきた。あえて真冬の凍てつくような時期というのも久々に体験してみたい気もするし、鬱陶しい梅雨の時期に東京脱出というのも捨てがたい。

まったくの余談だが、人気テレビ番組の「saku saku」において、かつて増田ジゴロウ氏がいろいろな地方にちなんだ曲を作って歌うという企画があった。増田ジゴロウ氏は後に白井ヴィンセント氏として、「教科書クイズ」の道重さゆみを早くから評価していた正しい感性の持ち主である。旭川関連の動画を検索していたら、ちょうど増田ジゴロウ氏による「旭川のうた」がヒットした。どうせくだらない冗談ソングの類だろうと思い見てみたのだが、不覚にも泣いてしまった。なんなんだ、これは、オイ。あと、買物公園の途中で見えるアイヌの看板が印象的なユーカラという居酒屋がちゃんと映っていたのにも感激した。しかし、この間、天人峡へ向かうマイクロバスの窓からのぞいたら、看板は残っているものの、お店は閉店してしまったようなのだ。私の記憶の中の旭川がまた1つ消えていくのか。

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shimaitai。

ごみを出しに行った後、いつも通りにスケジュールの確認をしようと思ってノートパソコンの電源を入れたのだが、黒の背景に白い英文字が表示されたまま動かない。これが何らかの不吉なメッセージであることは百も承知だし、英文の意味も分からないではない。とりあえず私が最も苦手なタイプの印刷物である取扱説明書を取り出して見てみるのだが、さっぱり訳が分からないので、カスタマーサポートなるところに電話してみた。

とても丁寧で好感の持てる女性オペレーターに聞かれたことを答えたり言われたことをやったりしてみたのだが、どうやらパソコン購入時の状態にして復旧するしか手段が無いということだった。保存したデータやインストールしたソフトウェアは全て失われる。音楽と映像のデータだけは数ヶ月前に外付けハードディスクに移しておいてよかった。他にもいろいろと保存していたような気もするのだが、ほとんどがどうでもいいものだったのだろう。ちなみに、道重さゆみのラジオ全音声ファイルはもちろん外付けの方に移してあるから無問題。

購入時にインストールされていたソフトウェアの中には、メモリの空き容量を増やすために、不要と判断して削除したものもある。いま一度、それが本当に必要なのか不要なのか判断する。また、必要と思ってインストールしたソフトウェアやダウンロードしたファイルの中には、とっくに使わなくなってしまった物や何となく取っておいた物なども相当数あっただろう。本当に必要な物だけ再度インストールしたりダウンロードしたりすればいいのだ。とりあえずiTunesだとかZINIO Readerとかだけれども。

本来は実に煩雑な作業なのだけれども、まるで新しいパソコンを買った時のような新鮮な気分になれて、実はわくわくしていたりする。壁紙とかアイコンとかからだもの。とりあえず会議に出発しなくてはならない時刻になったので、再インストール作業をさせたままで外に出たのだが、これからまた1つずつやり直していくのがなかなか楽しいような気がする。

11月半ばで、これから年末に向かう訳だが、何だか春先のような感じがする。これは私自身の精神状態がそうさせているとは思うのだが、確かに空気に春の匂いがするのだ。これはどういう訳だろう。

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冬へと歩きだそう。

カバンの中にはiPodも入っているし、携帯電話機にイヤーホンを差し込んで音楽プレイヤー化するためのアダプターだって常備している。なのにここ数日間、外で音楽を聴くのをやめてみた。特に理由はないんだが、自分の生活をより快適にだなんて、そんな呑気なことを言っている場合ではないな、という気分なのだ。いや、もうそれどころじゃない。

だがしかし、そうすることによって、人や街や電車といった都会における自然音にふれることができ、これこそがむしろ当たり前なのだという気がしてくる。大昔は外でヘッドフォンを使って音楽を聴くなどというスタイルはまったく浸透していなく、ウォークマンの登場が状況を変えた訳だが、当時は大人達から随分と気持ちがられたものだ。コミュニケーションを拒んだ自閉的な在り方とみなされたのだ。当時は見当外れなやかましい意見だと思ったものだが、確かにそりゃそうだと思える部分もある。自分の内面に深く潜り、箱庭的な快適性を高めるよりも、まだ見ぬ外の世界や体験に、殻を突き破って突っ込んでいきたい、そんな気分なのだ。

不安神経症のように、何かをかき消すようにして言葉は溢れ出してくる訳だが、一体これがどこへ向かっているのかはさっぱり分からない。しかし、間違いなく満たされている。17歳のように「生き」ている気がしていて、たぶんそれがすべてだ。

そう、17歳、高校2年の冬といえば、当麻町から通っていたK君と仲よくなりはじめた頃だ。北海道旭川市という地方都市のごく普通の公立高校という環境の中で、当時最先端のUKインディーズのレコードを東京から注文して聴いていた彼の存在は、私の音楽愛好家歴の中でもきわめて重要である。

もちろんインターネットなどというものはなく、貸しレコード屋さんにもラフ・トレードだとかチェリー・レッドだとかのレコードなんかは入荷しない。「宝島」とか「ミュージック・マガジン」とかの記事を読んで、とりあえず分かったような気になって、悦に入っていた。しかし、K君は本当にレコードを取り寄せて聴いていたのだ。

アズテック・カメラの「ハイ・ランド、ハード・レイン」をカセットテープに録ってもらって、部屋やお風呂などで何度も聴き続けた。発売されてからは何ヵ月も経つはずで、音楽雑誌の広告で見た「懐かしいけど新しい」とかいうキャッチコピーを覚えていた。

シンセ・ポップ全盛の当時において、アズテック・カメラのアコースティックで清涼感溢れるサウンドは実に新鮮だった。当時まだ10代の天才美少年、ロディ・フレームによって書かれた楽曲はいずれも美しいメロディーと純粋無垢なスピリットを宿していた。

サウンドの感触や代表曲「想い出のサニー・ビート」の邦題から、何かと夏のイメージが強いアルバムである。確かに、夏になる度にこのアルバムを聴いている。しかし、私自身、このアルバムに出会った季節が冬だったという事情もあるのだが、凍てつくようなこれからの時期にあえて聴くというのも、なかなか乙なものだ。

A面3曲目には、ズバリ、「Walk Out to Winter」という曲が収められていて、これがまた素敵なナンバーである。ラヴ・ソングの題材として、ひと夏のアバンチュールだとか秋の別れだとかは実にポピュラーな訳だが、この曲では夏に出会った恋人同士が、これから冬へと歩き出そうと決意表明するのだ。いや、この曲で描かれているのが果たして恋人同士なのかどうかすら実のところ定かではないのだが、そんなことは大きな問題ではない。要は、アイドルであったザ・クラッシュのジョー・ストラマーの写真が壁から剥がれ落ち、そこにはもう何もないと、この事実を高らかに歌い上げる。つまり、これからは自分達が自分自身の足でしっかりと1歩1歩を踏みしめていこうという、そういう実に希望に満ち溢れた曲なのである。

この爽やかで清々しく、力強い音楽のような、そんな現実が続いている。これがグルグルと脳内再生され、それに似合う生を「生き」るべきだと思うのだ。この躍動は胸の奥底から生まれるものだから、だからイヤーホンでわざわざ聴く必要なんてないのだ。それよりも生のリアルな、街の息づかいを感じたい。ここで私はいつまで暮らしていくのだろう。

天井が抜けた気がするが、それはここ数日間での出来事だ。きっかけはなんとなく分かっているが、それにしても偶然に起きた数種類の出来事を都合よく繋げてみせる私の脳のおめでたさには感心する。高校を卒業したばかりで、ここで暮らしていくと決めてから初めて訪れた東京の匂いがした。それを確かに感じた。失った物など何かあっただろうか。本当に欲しい物などは実は初めからはっきりしていて、それを見極めるためのレッスンが続いていたのだ。諦めただとか失望しただとかは、おそらくそんな気がしただけで、実はより賢くなって、核心に近づいているだけなんだろう。いい意味でなるようになるとは、つまりそういうことだ。

本当に久しぶりの冬の旭川、家族や親戚たちとの愛と笑いの夜、偶然に道重さゆみが誘った追憶の品川プリンスホテル、真夜中の布団の中で発光した茶屋町少女からのメールに感じた胸騒ぎ、ある件に対する突然の感情の爆発、暗く雑音混じりのFMと雪景色、これらはすべてわずか数日間の間に起こったことであり、どう考えても仕組まれているとしか思えないのだ。また、道重さゆみのおかげで煙草が完全にやめられたことにより、空気の匂いが分かるようになったという要因も、無視することはできない。

そして、なすことを愛するすべを、それが美しいイメージを私に与えてくれた。これですべてが揃ったような気がいまはしているが、おそらくは幻である。しかし、これは好ましい。あわてて走り出し、少なくとも尻尾をつかまえるぐらいのことはしておかなくてはなるまい。

High Land, Hard RainMusicHigh Land, Hard Rain

アーティスト:Aztec Camera
販売元:Warner Bros UK
発売日:1993/09/03
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どしゃぶりハイウェイ。

きわめて冷静でいるはずなのに、なぜだか突っ走ってしまっているという経験はないだろうか。加速しすぎてブレーキが利かなくなっているのか、はたまた、そもそも本気でブレーキをかけるつもりなどなく、むしろその状況を楽しんでいるのか。

その彼方にある状況というものがくっきりとリアルに想像ができ、それはひじょうにありきたりなものだから、ことさら驚くにも値しない。そして、そのことがもたらすリスクについても重々承知しており、それは実に重く物悲しい。

暗く雑音混じりのFM、雲の触手、そのような嫌な予感が心に忍び寄るが、その一方でたまらない興奮を覚えている。朝の4時半、雪の上に残る足跡が愛から逃れたいと告げていた。あれは確かに夢だったのだろうか。それとも、無意識の欲望。心理学専攻でとても鋭いあの子ならなんと言うだろうか。

谷崎潤一郎の「鍵」という小説は、確か19歳の夏休みに読んだのだっけ。倦怠期を迎えた夫婦が、互いに盗み読まれているのを知りつつも知らない体で日記を綴り続けるという内容だったと思う。

愛は負けるが親切は勝つ。これは、私が敬愛するアメリカ人作家、カート・ヴォネガット・ジュニアの名言。確かにそうなのだ。

理解を超えた欲望と力への意志が、寝るひまと眠るひまをスピードで誤魔化す。これは狂ったゲームだ。紛れもなく極度に振り幅が大きすぎる。

日曜日の午前中、東京はうららかないい天気。ノラ・ジョーンズの新作を聴いている。別に好きではないのだが、こういうのもアリなのではないかと思える。このような世界に逃れたいと欲しているのか。我々は皆、十字架を背負った生命体。愛することが困難ならば、せめて優しくすることはできないだろうか。免罪符のようだったり言い訳がましく聞こえるかい?それでも君は僕を軽蔑するかい?

ちょうど1週間前の早朝、父と弟と3人で天人峡の自然の中を歩いた。何気ないひとときだったが、あれはなんてしあわせだったのだろう。結局、そういうところに帰結していくのだろう。私が考えるしあわせの概念に最も近い感じが、あの時間だった気がする。そう考えると、現在の私の心を占めている物は不純な欲望ばかりに思える。だがしかし、しっかりとそういうものの1つ1つと対峙して、決着をつけていかなければ、そこへはたどり着けないのだろう。そういうことなのだ、きっと。

さて、仕事でも一生懸命やって気を紛らわしますか。校庭を意味もなく走り回ったり、どしゃぶりの中を飛び出していったり、そんなふうな感じでね。

そんなふうに見られるのも楽じゃねえんだ。いつもこんなですまんね、まったく。時間切れだよ。

おやさゆみん。

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いかんともしがたくて、秋。

道重さゆみが出演した回の「美女放談」をやっとこさ見ることができた。対談したのは、数年前にベストセラーになった「女性の品格」の著者である坂東眞理子さん。63歳の品のある女性であり、早くもなんとなく嫌な予感がしていたのだが、「女性の品格」が300万部以上売れたという話を受けて、「大盛況ですね」などと、明らかに間違いであり、かつ失礼とも取られかねないワードのチョイスで、ハラハラさせた。しかし、さすが大人の女性である。その後も、しっかりと受け止めてくれていた。

坂東さんの下の娘さんは25歳だということなのだが、対談を終えて、道重さゆみに対し、早くして芸能界に入り、集団の中で揉まれてきただけあって、ある部分では自分の娘以上にしっかりしていると評していた。その一方で、とても閉じた世界の中でやってきたためか、一般常識的な部分で欠けているところが多く、そこはもっと勉強した方がいいというご指摘もしていただいていた。さすがに的確だ。

番組中、道重さゆみはついつい発言で意図せず他人を傷つけてしまうという欠点について話していた。他にも体力がないことなども話題にしていたが、いずれに対してもためになる助言をいただいていた。また、自分は自分と思っていても、ついつい他人と比べてしまうということも話していて、これは一昨年のソロDVDにおける独白とも重なる部分がある。

自己愛の強さの源にあるのは自信の無さだったりコンプレックスだったりするのか。平成ニッポンには自己愛が足りない。それを持たせないようにするシステムがあらゆる場面で確立しており、不機嫌で憂鬱な気分で覆われている。

昨日たまたま読んでいたマーケティング系の書物によると、現代の消費はhavingからbeingへと移行しているのだという。何かを所有するためではなく、なりたい自分になるための消費。なるほどな、と思った。

私が道重さゆみに惹かれる理由というのはいろいろあるのだが、やはりこの自己肯定感という部分が大きい。それも、コンプレックスだとか嫉妬心だとか、弱さと葛藤しながら、それを獲得しているという所に感動する。そして、私もそのように生きなければと思うのだ。いわば生きる上での指標といっても過言ではない。

意図せず人を傷つけるような発言をしてしまい、反省するのだが、自分のキャラクターで許されてしまうという話においては、坂東さんから、それも甘えなのだと厳しく指摘されていた。

自分自身がこうありたいという理想のイメージがあるとして、それと照らし合わせてみてどうなのかということなのだが、なかなか興味深いし面白い。

次回はこの続きが放送され、メンバーにも家族にも見せたことのない道重さゆみのネタ帳を初公開するようで、楽しみである。

同じ日に放送された「クイズ ALL FOR ONE」という番組にも出演していたのだが、こちらの方も見てみた。今田耕司が司会で、回答者は中澤裕子、保田圭、矢口真里、吉澤ひとみ、道重さゆみ。こちらはかなりホームに近い雰囲気があり、中澤裕子に毒づいてみたり、おかしな言い回しをしたりして、それをまた今田耕司においしく拾ってもらったりしていて、なかなか面白かった。こちらもまた、次回に続くようだ。

とにかく、いかんともしがたい状況というのは、自らの手で打破していかなくてはならない。その手がかりは例によって欲望の中にあるのだが、それはあまりにも予定調和的すぎて、たまらず笑ってしまうのだが、同情を買おうとしているのではないかとあらぬ疑いをかけられることにはうんざりなので、知らない振りを装うことにしてみた。というか、このような言い回しそのものが、すでにあれである。まったくもって申し訳ない。

クリスマスのイルミネーションがちらほらと東京を照らし出す季節が訪れるのだが、この切ない感じが嫌いではないと、道重さゆみはラジオで話した。ソイラテを注文し、その泡の部分だけに口をつける、そんな自分自身のイメージに浸っていたらしい。あの街からはすでに引っ越してしまったのだ。

六本木ヒルズのイルミネーションをくぐって、東京シティビューから絶望的に空虚で美しいこの街の夜景をながめる。昼間から夕方にかけては、どうせ麻布十番あたりでたい焼きでもかじりながら商店街を歩いているのだろう。どうせそんな画ぐらいしか浮かばない。創造力の欠片もありはしない。だから、こんな季節に、こんな時期に、本当に参ってしまうのだ。

茶屋町から届いた着信が、布団の中で、私の携帯電話機を発光させた。これは仕組まれている。しかし、時すでに遅いのかもしれない。まったくもっていかんともしがたい。いつまでこんなことを続けなくてはいけないのか。

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ラヴ・ソングをリアルタイムで。

ある男の恋人の結晶、つまりその「美」とは、彼が恋人に対してつぎつぎといだいたあらゆる欲望の「満足のすべて」の集まりにほかならない。(スタンダール『恋愛論』)

サービスと恋愛というものは、お互いを高め合うという部分で同じだな、と思うわけだ。サービスを生業としている者としては、やはりここのところの意識が弱くなった途端に、どちらもうまくいかなくなる。お互いにとって価値のある存在でいられるように、常に努力を怠ってはいけない。

それはそうとして、そのものズバリ、恋愛心理そのものを商売している職業がアイドルなのではないかと思うのだ。私はこれまで幾度にもわたって、私が道重さゆみに対して抱いている感情はけして疑似恋愛などではなく、人間としてのリスペクトなのだということを語ってきた。しかし、私にとって恋愛対象とは常に人間としてもリスペクトすべき存在に他ならなかった。よって、両者の間には大差はないのだ。

純粋な恋愛とは、あくまでも肉欲とは区別されたものとして考える。しかし、今日において、これを継続していくことは大変困難である。肉欲の誘惑に耐えることぐらいは、筋金入りの変態紳士である私にとってはいとも容易いことである。しかし、関係性が相手にも認識された時点で、これは困難をきわめるのだ。

だから相手には気付かれないように一方的に好きでいるに限る、という明らかに屈折した恋愛観に至り、相手に悟られずに想いながら死んでこそ本望、などと武士道にも通じる考えに傾いていく訳である。

だが、必ずしもこれがうまくいくとは限らない。というか、うまくいった試しなどほとんど無い(なんだよ、まったく)。

そもそもなぜに私が自分をこんな状況に追いつめているのかといえば、それは妻帯者であるからに他ならない。

スタンダールがいうところの結晶化が生じた段階で、すでに対象を自分の好きなようにして見ている。ほんのわずかな断片から自分勝手な妄想を広げ、やがてそれが精神を支配していく。そこにあるのは、相手が新しい美点を持っていることを発見する精神の作用であり、それはけして止むことがない。

現実社会における生活の中でこれが発生した場合、当然のことながら、それははたから見てとても分かりやすい形で表現される。そして、互いに結晶作用が生じた場合、そこには不思議な磁力のようなものが生まれる。そして、偶然を錯覚し、あたかもそれが人知を超えた神秘的な力によって導かれているかのような空想に耽る。

実にくだらない。しかし、人生における華とはこういうところにしかない。かつて私が思いを寄せていた女性から教えてもらった、坂口安吾だか誰だかの言葉だ、確か。

すぐそこにいるのだとするならば、とにかく手をふれてみたいと感じるのはごく自然なことであろう。いや、しかしそれは間違っている、してはいけないことだと理性がブレーキをかけるのだが、もしも相手が突然にやわらかな手のひらでつつみこんできたならば、そこには電気的な衝撃が走り、これに抗うことはひじょうに難しいといえる。

妻子がいることを知っていて、それでいて他の人が不幸になることなどにはお構い無しで己の欲望に正直なビッチ性を激しく軽蔑するくせに、それは完全に間違いであると知っているくせに、ここを克服する自信というものが無い。

しかし、やはりダメなものはダメなのだ。それでいつも泣いたり泣かせたりして、みんな不幸になる。楽しみの代償と考えればそれも仕方がないと思える。すべて自業自得だ。

いろいろなことをちゃんとしたい。それにはまず家庭という基盤をきちんとしなくては、と思ったものだが、打開策がまったく見当たらなかった。暗中模索だった。家の中は冷たく陰気で、すべての言葉や動作が互いを激しく傷つけ合った。よくもまあ、ここまでやってこれたものだ。

そのけして埋まることのないエアーポケットを抱える日々に、突然、道重さゆみが現れ、そして、いろいろなことが分かった。本当によかった。

アイドルはこちらのことを知らない。熱心な現場系でもなければ認知される心配もない。ここを踏み外すと一気にSTKへとまっしぐらだが、そもそもそんなことは望んではいない。けしてふれることはできない。ふれずして情報だけがどんどん貯まっていき、私だけの幻想かつ理想の女の子像は、さらに純度を高めていく。なんという完璧な関係。これこそが私の求めていたものだ。

暗く雑音まじりのFMは雪景色に紛れ、したり顔でいかにもそれらしいことを得意気に話している。ふたたび路上で、真実の天使性は暴かれた。それからしばらくして、ステージ上で踊る彼女は目に心地よい。そう、まさに女の子の最高傑作。しかし、心はまた別の重くあたたかな、躍動している塊を探りあてようとしていた。外の冷たい空気とイルミネーション、時としてシンクロが激しくて痛い。しかし、これが「生き」ているということなのだろう。

誰か、このパズルを解いてはくれないだろうか?

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品川ステラボールに行ってきたよ。

たとえばゲームにおいて難易度の高い局面は、クリアーすることが難しいが、そのレベルを攻略した時の快感がたまらない。そして、確実に能力がアップしている。けしてルール違反をしてはいけない。一時的な帳尻合わせや体のいい免罪符のためにもけしてやってはいけない。その時点で価値は永久に奪われる。また、悲壮感に酔いしれ、出鱈目のロジックによって何も知らないいたいけな人々を欺いたり、他人を不幸の巻き添えにしようとすることもけしてないように、細心の注意を払うべきである。けしてブレない強い信念が必要だ。

引き続き、降りかかる難局は己をより強く美しく高めるために、神が与えてくれたレッスンだと思うのだ。幻想の丸の内ガールや茶屋町ベイビーらに対し、したり顔でこんなことを言っているけれども、それは自分自身に言い聞かせていることでもあるのだ。などと、けして同情を買おうとしてわざわざこのようなことを書いているのではない。そのような状況でも前を真っ直ぐに見据えて、胸を張って歩いていく貴女方は本当に美しいといわざるをえない。告白するが、私はつい先日、本当にくだらないことで冷静さを失い、負の感情を外に出してしまった。本当によくないと思う。私自身は自業自得なので別に構わないのだが、私を信じてくれている方々の価値をも貶めてしまったようで、それがたまらなく悔しい。しかし、もう終わった。気持ちは切り換えた。なぜそのようなことになったのか。今後2度とそうしないためにはどうすればいいのか、これをとことんまで考え、当面の答は出た。だから、これでいってみる。

立場や権限はどうあれ、常に憐みの心を持って接することが出来る強さを獲得しなければならない。

しかし、楽しいことはその何倍もある。だからやっていられる。その核(コア)となるべき部分が悲鳴をあげそうだとしても、毎日真剣であれば、なるようになるのだ。いや、いい意味で。

というわけで、本日もマゾヒスティックなまでの断崖チキンレースの様相を呈しているのだが、もちのろん、こんなオレってカッケーというパーソナリティー障害スレスレの極度な自己愛が支えてくれていることはいうまでもない。あとは、新田恵利ちゃんもかつて歌っていたように、ロマンスはサーカスだよな、やっぱり。好きでメンタルをこじらせがちな秋だからこそ、尚のことである。何のことなんだぜ。

そんな日々の泡立ちの最中、仕事場の事務所で打ち合わせをしていると、携帯電話機に1通のメールが着信した。とにかく私の携帯電話機にはメール着信がいろいろなところからあり、仕事関係だったりメールマガジン系だったりプライベートだったりさまざまなのだが、嬉しいものと憂鬱なものがある、やはり。そして、そういう仕事をしている平日の午後とかに届くものというのは、過去の経験上、わりとどうでもいいものが多いのだ。そして、会話は続けながら画面確認して、保護するか削除するかの処理をするだけ。しかし、このメールは違った。思わず、会話が止まった。件名は「当選:モーニング娘。」。

モーニング娘。のシングルCDは、ここ最近はiTunesで購入することが多い。オリコンのランキングに反映されないので、ファンとしてはあまりよくないのかもしれないが、とにかく他の洋楽とかでもほぼ完全にダウンロード購入が定着してしまい、CDを買うという習慣が本当に無くなってしまった。値段も高いし、何よりも場所を取るのが嫌。どうせ買ってもすぐにiTunesに取り込んで、それ以降はCDケースを手にすることすらないのだ。「しょうがない 夢追い人」の時は、オリコン1位が獲れそうだったので、祭りに参加する感覚でCDを買った。また、最近のモーニング娘。のシングルCDといえば、イベント応募券がついていて、シリアル番号を携帯電話から送って抽選に参加するシステムになっている。これに当選したいがために、同じCDを何枚も買う熱心なファンが多数いることも知っている。しかし、そういうのはだいたいが土日祝であり、私は決まって仕事があるので、たとえ当たったとしてもどうせ参加することができない。今回の「気まぐれプリンセス」はイベントが平日、しかも私が仕事場に行かなくてもいい日だったため、どうせ当たるはずはないと思ったが、悔いが残らないように1枚だけAmazonで買って応募した。そしたら、当たった。天国からのプレゼントだろうか。ちゃんと見ていてくれたのだ。

東京もすっかり寒くなってきた。比較的天気がよかった先週の旭川よりも寒いのではないだろうか。片づけなくてはならない用件が多少あったため、午後から逆方向へ行き、移動中も必要な技術を習得するための勉強と、けして快適ではないが刺激的な日々が続いている。移動や待機時間を含めた夜の数時間を会場の品川ステラボールで過ごすためには、なんとか予定を圧縮して済ませなくてはならない。先々週、原宿アメーバスタジオの公開放送で、生の道重さゆみを久しぶりに見た。それからわずか半月で、また再会できるとは。イベント内容はよく知らなかったのだが、とりあえず会場がライヴハウスということで、パフォーマンスはあるのだろう。私はモーニング娘。やハロー!プロジェクトのコンサートが開催される土日祝はつねに仕事が入っているため、いままでに参加したことが一度もない。パフォーマンスを見たことといえば、「シンデレラ THE ミュージカル」の中ぐらいだが、あれは着席して見なければならない決まりであったため、コンサートとは随分と雰囲気が違うらしい。私のブログをご愛読くださっている何名もの方々から、無理をしてでもコンサートに参加するよう誘っていただいている。特に、私が最も好きなハロプロ系ブロガーである某田中れいなのファンの方などは、わざわざブログの記事1つを使って、私を今週末、11月15日の広島でのコンサートに誘ってくださっている。広島といえば、道重さゆみの名言、「死なないでください」が生まれた地である。とてもありがたいのだが、本当に申し訳ない。やはり、私にとってのメインの戦場、というかゲーム盤を犠牲にすることはできないし、これをやることによって、現在の応援スタンスが根本から崩れ落ちる気がしてならないのだ。

高校3年の冬、大学受験のために品川プリンスホテルに泊っていた。旭川空港から飛行機で羽田空港に着いて、そこからモノレールと山手線で品川駅に着いたのだが、駅前でインチキくさい大学生風に捕まった。レストランだとかリゾートだとかのクーポン券が綴りになっているようなものを、5千円で売りつけてきた。明らかに自分には必要がないものなのだが、こういう勧誘のようなものに、旭川では遭ったことがなく、免疫もなく、断る方法も知らなかった。それで、いらないことは分かり切っているのに、買ってしまった。しかも、親から預かった大切なお金で。東京は怖い所だ。ホテルにチェックインしてすぐに、悔しくて破り捨てた。そんな思い出の街、品川。そのプリンスホテル付近がウィングなる商業施設になっているのは当時と変わっていない。マクドナルドも当時からあった。その頃はすぐ近くにTVモニターが何台も設置されていて、洋楽のプロモーションヴィデオが流れていたりした。18歳の私は佐野元春の「悲しきRADIO」なんかを脳内再生しながら、東京の大学入学後の都会の気ままな生活なんていうものの妄想に酔いしれたものだ。ホテル内の書店で村上春樹が訳したレイモンド・カーヴァーだとかスコット・フィッツジェラルドだとかの本を買ったのも覚えている。東京で生活を始めてから何度かは、ガールフレンドと食事に訪れたことがある。また、数年前に東京ディズニーランドに遊びに来た名古屋の弟一家と両親とで会い、食事をした。夏の高校野球で駒大苫小牧が優勝した、ちょうどその日だった。日曜日で、私はスーツ姿で品川のホテルへ行った。その頃は嫁との関係が最悪で、ほとんど家に帰っていなかった。食事中にくだらないことで父の機嫌を損ねてしまい、父は1人で先にホテルの部屋へ戻った。私と嫁はその場では何の問題もないふうを装っていたが、食事が終わってから、嫁だけが電車で家に帰り、私は別の場所へ泊り、翌朝、そこから仕事へ行った。

品川プリンスホテルの手前にあるホテルと飲食店の一帯は営業されていなく、横断歩道を渡って近くで見てみると、破産して差し押さえられていた。一方、品川プリンスホテルの方は、エプソンの水族館やらよしもとの劇場やらも出来ていて、かなり盛り上がっているように見えた。今回の会場であるステラボールというライヴハウスも、その一帯にある。近くのくまざわ書店で本を買い、会場近くに行くと、すでに長蛇の列ができていた。割と小洒落た雰囲気がある周囲とのミスマッチ感覚がなかなか面白いのだが、係員の方に聞くと、ここに並んでいるのはグッズを買う人達で、会場入口はもっと奥の方だということ。数分間並んで、携帯電話機に保存された当選メールとCDに封入されていた応募券を見せて、入場。ここで指定席の番号が入った入場券と引き換えになるのだが、早い者順で良い席が当たるわけではなく、シャッフルされている。私の座席は2階席であった。モーニング娘。のコンサートにおいてはファミリー席というのに当たるらしく、着席のまま応援しなくてはいけないようだった。

開演まで本を読んですごした。両隣の方はいわゆるヲタTと呼ばれるメンバーのカラーがついたTシャツに着替え、サイリウムも用意している。会場時にアンケートが配られたが、そこには何曲かの曲目が書いてあり、その中から歌ってほしい3曲の印をつけて投票するようになっていた。集計した結果のBEST3をモーニング娘。がパフォーマンスするらしい。有名曲からコンサートではあまり聴けない曲まで、面白い選曲だった。私は「レインボーピンク」「泣き虫」「恋は発想 Do The Hustle!」に投票したのだが、いずれもパフォーマンスされなかった。「レインボーピンク」は、司会のタイムマシーン3号のデブじゃない方(ご自分でこう自己紹介されていた)が紹介した時にはファンの歓声が最も多く、もしかするとと思ったのだが、結局無かった。

場内にはなぜかMUSEのアルバムが鳴り響いている。開演時間になり、舞台が暗くなる。リンリン、ジュンジュン、光井愛佳、久住小春、田中れいな、亀井絵里、道重さゆみ、新垣里沙、高橋愛の順番で名前がコールされ、1人ずつ登場。亀井絵里と道重さゆみの順序がいつもとは逆ではないだろうか。そして、「気まぐれプリンセス」に突入。すごい。1階席のファンの人達の色々なカラーのサイリウムがきれいである。掛け声やジャンプ、そして、立って踊ることが出来ない2階席のファンも振りコピのようなものを着席したままでやっている。この祝祭感覚ともいうべきノリに圧倒された。うまくノレない自分にバツの悪さを感じたのだが、とりあえず手拍子ぐらいにして、パフォーマンスに注目した。当然、道重さゆみを中心に追うのだが、一生懸命なダンススタンスがいかにもらしくて感動を覚えた。あっという間に曲が終わった。いや、この雰囲気はすごい。もっと特殊な閉塞的な雰囲気を勝手に想像していたのだが、実にスポーツ感覚で爽やかな感じだ。サイリウムを持ってヲタT着て一緒に踊れないことを悔やみすらした。

アンケート結果からの3曲を歌う「気まぐれリクエスト」に入るが、この発表場面も盛り上がるのだが、メンバーも事前に何を歌うかを知らないので、歌詞カードのようなものをもらって、その場でフォーメーションを打ち合わせするなどというレアな場面も見ることができる。第6期メンバーの3人はなんだかいつも一緒にいる。誰かがつっこみどころのあることを言うと、道重さゆみがつねにつっこんでいる。田中れいなが楽しそうだ。3位の曲は不勉強のためさっぱり知らない曲だったのだが、ひじょうに盛り上がった。第2位は「恋ING」、これはコンサートDVDなどで何度か見たことがある。そして、第1位は道重さゆみが予想した通り、「シャニムニパラダイス」。「踊りたいの~」と言っていた希望が適った。ロボットダンスのようなユニークな振り付けも堪能でき、大いに盛り上がった。司会のタイムマシーン3号の人に、リンリンの振りが間違っていたんじゃないかとつっこまれると、「中国ヴァージョンです」などと言っていたが、ジュンジュンに否定された。亀井絵里が何か言った一言が田中れいなのツボに入り笑い転げるという場面も目撃された。

続いては、「お姫様を笑わせろ」なるコーナーで、笑顔を忘れてしまったお姫様という体の田中れいなを、他のメンバーが物ボケで笑わせるというバラエティー企画。変な鳥のオモチャみたいなので変な声が出るやつがあって、光井愛佳がそれを鳴らしただけで田中れいなが大爆笑してしまうが、「愛想笑いです」と言い張る。道重さゆみは、そのオモチャの声を鳴らした後で、「これは誰の声?保田圭」というヤンタンでおなじみのネタを披露するが、田中れいなから「保田さんの名前を出したけん」という理由で却下されていた。2度目のターンでは、人形を寝かせて、大きなブラシを手に「♪仕上げはお母さ~ん 歯を磨きましょう」とやって見事クリアー。亀井絵里の笑いは、タイムマシーン3号の人が「何年も(お笑いを)やってるけどシュールすぎて分かりません」と評したように、かなりぶっ飛んでいる。また、亀井絵里が何かを言うたびにファンが「えー」と声を合わせて言うのだが、あれはお約束事なのだろうか。高橋愛がハリー・ポッターネタ、新垣里沙が変なカツラをかぶってヘリウムガスで声を変えて田中れいなの母です、などのネタでクリアーする中、ジュンジュンが最後まで残り、罰として後片付けをさせられていた。

その後、「みかん」と再度「気まぐれプリンセス」のパフォーマンスがあって、イベントは終了した。道重さゆみが歌う生の「♪お~んなじ~こ~とじゃ~ん」が聴けて、大満足である。それにしても、サイリウムを振りながら「みかん」に合わせて手を上げたり下したり、同じところでかけ声を合わせたり、踊ったりジャンプしたり、実に楽しそうである。これは1度ハマったら抜け出せないというのも分かる。また、このモーニング娘。というパフォーマンスグループは、キュートというコンセプトと卓越したダンススキルの両立という面で、ワールドワイドな視点で見ても、かなりユニークな存在なのではないかとも思った。このファンと共に創り上げる祝祭的空間も込みのパッケージで、これはかなり面白い。ぜひとも本格的にフルで体験してみたいものだという欲望がないわけではない。

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愛と笑いの夜。

妹が結婚するということで、式に出席するために故郷である北海道旭川市に帰ってきた。

数日前に降雪のニュースが報じられていた印象もあり、すっかり雪景色を想像していたのだが、よく考えてみると、こんなにも早い時期に雪がそうそう降り続けるはずもない。かなりの厚着をもしてきたのだが、それほど寒くもなかった。旭川空港に出迎えに来てくれた父の車に乗ると、アーティスト名も曲名も分からないが、おそらく最近ヒットしていると思われるJ-POPが流れる。父は昨年から年金生活に入ったが、パソコンや周辺機器を取り揃え、オリジナルのCDだとかDVDだとかを制作することに凝っている。私の自宅にもいくつか送られてきた。

ニンジンを買って帰らなくてはならないとかで、ベストム東神楽なるスーパーマーケットに寄った。TVモニターが数個設置され、そのすべてが北海道日本ハムファイターズの名場面集を流していて、それを小さい女の子がじっと見つめている。売っている魚の大きさが東京のスーパーとは明らかに違う。また、旭友ストアツインハープ店の近くにあるディスカウントショップ、ダバスで父がブルガリアヨーグルトを買うのに付き合った。1人で買える数量に限りがあったため、私も並んで買うことになった。仕事場から電話が入ったが、咄嗟の非常事態にも私の指示通りにスムーズに対応してくれた。ひじょうにありがたい。

実家に帰るのは昨年の9月以来、わずか14ヶ月しか経っていないために、特に改めて気をつかうようなことはなかった。これが昨年との大きな違いだが、この自然な当り前さがとても嬉しく、意味が濃く感じられる。その時に、妹の交際相手がはじめて家に訪ねてきた。同じ職場に勤務しながら交際が始まったため、いつも車で送ってくれてはいたが、両親とはまだ対面していなかった。彼の方は早く両親に会いたがっていたようなのだが、妹の方が拒んでいたらしい。私は前回の帰省初日の夜、家族とではなく、高校の後輩にあたる女性と過ごしていた。その間に、母が妹に、「お兄ちゃんも帰ってきたことだし、彼を呼んでみてはどうか」という提案をし、それはすんなり受け入れられたらしい。

どのような相手が来るのか、これは初めての経験であり、とても落ち着かなかった。意味もなく何度も家の近所にある母校まで歩いて行ってみたりした。注文していたお寿司を、父と車で取りに行ったのだが、あわてていたせいか、車の中でお寿司が椅子から落ち、一部が崩れてしまうというハプニングが起こった。彼は家のすぐ近くまで来ていたのだが、準備を整える間、少しだけ待ってもらった。このハプニングすら後に笑って話せるような、そんな相手が来てくれればいいと思った。初めて会った彼は見るからに好青年であったが、やはり重要なのは中身である。しかし、すぐに本当に内面も素晴らしく、妹にはピッタリな人だということが分かった。それは、私が緊張した空気を少しでも和らげようと渾身で繰り出した笑い話の数々に、家族以上に良く反応してくれたことで明らかであった。彼は車で来ているからといってお酒を飲まなかった。普段もあまり飲まないらしい。煙草も吸わない。サッカーをやっていたスポーツマンであり、現在は病院で何やら責任のある役職に就いているようだ。ところが私は急速に酒のピッチが上がり、次々と笑えればなんでもアリといった体の超絶トーク王モードに突入している。果たして大丈夫なのだろうかという気もしたのだが、結局のところ、何を取り繕っても仕方がないわけだし、妹も彼も笑っていたので、まあそれはそれで良かったのだろう。彼が家を出てから妹に電話をしてきて、「お兄さんにムリをさせて悪かったね。でも、僕も姉貴の恋人が家に来たらああなってたかも」と言われたらしい。必死だったことはすっかりバレていたのだ。

それからしばらく連絡が無く、もしかしてあの夜、私があまりにも余計なことを言いすぎたせいでダメになってしまったのではないか、などとよからぬ想像をしたりもした。そして、ある日、結婚の知らせが届いた。

本当にこんな素敵な人と出会えてよかった。妹の相手ということを抜きにしても、純粋に好きな男だ。とても真面目で、それでいてよく笑う。親戚の方が「私からいうのもなんだが、情けないぐらいに優しい男だ」と評していた。理想は「明るくて笑いの絶えない家庭」だという。この2人ならば必ずできると思う。あまりにも嬉しくて、披露宴では相手の家族にケーキを配りながら挨拶をしたり、デジカメで動画を撮ったりしていた。そしたら、それを女性司会者にしっかり見られていて、テーブルスピーチの大トリに当てられてしまった。いや、もともと新郎新婦に指名されていたらしいのだが、本人達にはシークレットだったらしい。上記のようなことを話した上で、もしもどうしても笑いが足りない時には、私を呼んでくれればすぐに笑わせに駆けつけるとスピーチして、とりあえず笑いは取った。

会社の人や友人などは一切呼ばず、身内だけのアットホームな披露宴であり、料理や新郎新婦が何軒も回って吟味したというケーキもとてもおいしかった。いかにも仰々しい演出や歌、よく分からない人の長々とした話などもなく、実にこの2人らしい誠実で温かい雰囲気に包まれていた。親戚の叔父や叔母、祖母の中には十数年ぶりに再会する人達もいたが、姿形は互いに変われど、ブランクをまったく感じさせない。

披露宴の後、母方の親戚一同とマイクロバスに乗って天人峡という所へ行った。もう暗くなっていたので景色はさっぱり分からなかったのだが、峡谷や滝などの景観と温泉で有名な場所である。実は私は高校まで旭川に住んでいたにもかかわらず、ここへ来るのは初めてであった。プロ野球日本シリーズの第6戦があったが、私と弟、1人の叔父を除いて全員が北海道在住ということで、みんな北海道日本ハムファイターズを応援している。プレイボールから部屋のテレビで見ていたが、夜7時から宴会場で食事の予定になっていた。披露宴の料理が質量ともにかなり充実していたため、あまり積極的な食欲は湧かなかったのだが、久々の親戚のみなさんとの時間を大いに楽しんだ。弟を除くと、私が最年少という、なかなか珍しいシチュエーションである。私の隣にいた叔父は、ずっとラジオにイヤホンを差してプロ野球中継を聴いていた。私も携帯電話機で1球速報のアニメーションのようなものを起動させていたのだが、ラジオと比べると少しタイミングが遅れる。そこで、叔父が「二岡凡退」だとか「小谷野三振」などと報告をしてくれる。

叔母や叔父はよく分からない昭和30年代ぐらいの歌謡曲のようなものを次々と歌っている。私にも声がかかるが、ここは叔父叔母たちが主役だろうと判断し、あえて自粛していた。いや、一応カラオケの歌本は見たのだが、やはりご年配の方が多いのだろう。演歌や歌謡曲が中心のラインナップになっている。何せ、サザンオールスターズよりも鳥羽一郎の方が曲数が多いのだ。2時間の制限時間が近づき、札幌でコンビニを経営する叔父の「僕は泣いちっち」がトリとなった。私は志村けんがコントで歌っていたという記憶ぐらいしかない曲である。この札幌の叔父は、私の母の妹の旦那にあたり、実は今回の披露宴には呼ばれていない。しかし、どうしても妹の花嫁姿が一目見たいのと、この天人峡の集いに参加したいがために、はるばる車を飛ばしてきたのだ。実はこの叔父さんは、私にとって、いい大人としての師匠といってもよい存在であったりはする。小さい頃にはプラモデルを買ってもらったりしていたが、私が中学生ぐらいになって洋楽に興味を持ち始めてからは、夏休みや冬休みともなれば、家に泊めてもらって、昼間はタワーレコード札幌店でレコードを買い、夜は叔父さんの60年代のカセットテープを聴きながら音楽談義に花を咲かせたりした。歳をとってはいたけれども、ちっとも変っていなかった。「まだ音楽聴いてるの?」と聞くと、「ジャンジャン聴いてるよ」と言っていて、それがとても嬉しかった。

最後に私に歌うことを要請する声が再度強まった。しかし、ここでいわゆる若い人の歌をわざわざ歌う必要もないだろう。盛り上がったのだからこれで終了でいいではないか。しかし、祖母から、もしかするとこれが最後かもしれないから歌声を聞いておきたいと言われ、これを言われては歌わざるをえない。尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」などというベタなものを熱唱させていただいた。2コーラス目で弟も参加し、親戚一同のみなさんに、「もう思い残すことはない」と言っていただけたので、よかったと思う。

部屋に戻り、北海道日本ハムファイターズの敗退を見届ける。残念だが、このブルーズを親戚のみなさんと共有できたのはなかなか貴重な体験だった。その後、実はあまり折り合いが良くなかった母の兄、東京のおじさんと、親戚や祖先の話、大人としての生き方などについてかなり深く話し、なかなか面白かった。真夜中に1人で露天風呂に入った。何という贅沢。本当に久しぶりに弟と布団を並べて寝て、翌朝、父と弟と3人で近辺を散策した。言葉ではうまく言い表せないが、まあ、とにかく自然は偉大だ。朝食を取り、現地で別れた。

妹の旦那は、結婚初日だというのに、研修の仕事が入っているという。2人はすでに一緒に暮らしているが、家から車で15分ぐらいの所に住んでいる。花束を家に持ってきたりもしなくてはいけないため、父が運転する車で迎えに行った。新婚旅行も当面はなく、当たり前の日常が続いていくという。しかし、とても眩しく輝いている。名古屋に帰る弟を空港まで送った後、家に戻り、父がDVDに編集するために、私がデジカメで撮ったデータをノートパソコンに取り込む作業をする。メーカーが異なるためにコードが合わず、近所の100満ボルトなる豪快なネーミングの家電屋さんへ買いに行った。ここはお客様のことを株主と呼んでいて、入口にはメンバーズカードでポイントがもらえるルーレットのようなものがある。品ぞろえも豊富で店員さんも親切だ。父、母、妹と3人で、私が昨年の帰省時に撮影した動画などを一緒に見た。また、父が編集した同窓会のDVDも見た。私は到着日に続いて2度目だった。当日の模様と昔の写真などがうまく編集されていて、なかなかの出来栄えである。参加者にコピーして送り、感謝状をたくさんいただいたらしい。

夕食を家で食べた後、空港まで送ってもらい、そこで別れた。その後で、妹も旦那と暮らす家に送り届けてもらい、父と母だけで実家へ戻った。当たり前だがしあわせだ。ここまで来るのに随分とかかった。そして、これからもっともっと良くなっていくのだ。

到着した日の夜は、家族と母方の親戚がホテルで会食をしていたが、私はまたしても高校の後輩にあたる女性とお会いしていた。後輩といっても何年も下であり、在学時に面識は一切ない。数年前に、たまたまSNSの母校コミュニティで知り合い、共通の担任の話題で盛り上がったりしているうちに、メッセージやコメントのやり取りをしたりしなかったりをするようになったのだ。しない時は本当にまったくしないのだが、きっかけがあればすぐに元のテンションに戻るという、最も自由かつ心地よい距離感である。直接お会いするのもトータルで2回目に過ぎないのだが、何というか、実に素の自分に戻れる大切な時間である。日頃のリアル社会でのしがらみから解き放たれ、また、ホームタウンという環境のせいもあるのだろうが、何の気負いもなく、素直に1分の1の自分でいられるというか、当たり前なのだが満ち足りているという不思議な感覚になる。このような関係はぜひ大切にしていきたい。

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