とりあえずさようなら。

さよならは別れの言葉じゃなくてふたたび会うまでの遠い約束、なんて流行歌が昔あったな。それはそうとして閉鎖するつもりはないし、気が向いたらまた書くかもしれない。それは気分しだいで意外とそんなに間を空けず、なんてこともありうるな。だがしかし、これまでのように道重さゆみの出演したラジオやテレビをくまなくチェックして、その感想をまとめていくような活動はできそうにない。そう、この人生において本当に目的とすべきことを発見してしまったオレは、やはりそれに時間と労力の多くを割こうと思うのであります。しかし、ここに至るには道重さゆみと出会うことが不可欠だったわけで、そういった意味では感謝してもし足りない。これからも大好きだし、ファンだ。できればずっとそうでいたい。

生きていることに何の手ごたえもなく、ただ刺激と退屈の繰返しをやり過ごしていたにすぎなかったオレの前に、道重さゆみは数ある退屈しのぎのアイテムとして現れた。何度も書いているダンゴムシのエピソードや私物の髪飾りの画像にときめき、以来、どんどんその魅力に落ちていった。ついには大阪まで生の姿を見に行ったり、出身地の山口県宇部市まで出かけるまでにエスカレートした。こんなに何かに夢中になったのは本当に久しぶりだったし、オレの人生にふたたびこのような事態が起こりうるなんて思ってもみなかった。その過程で、オレは理想と生きる意味を再獲得した。そして、惨めで後ろめたいことだらけの過去と邂逅するために、13年ぶりに故郷を訪れたのだった。迷惑をかけっぱなしで、しかも当時の夢は何ひとつかなっていないオレだったが、これはやっておかなくてはダメだと決心した。しかし、地元や家族はそんなオレをありのままに受け入れてくれた。さらに、ここである決定的なきっかけを得た。これは何かに導かれているのか、はたまたオレがそれを求めたのか。というわけで、前述のような事態になっている。

これからオレがどのような人生を歩むのかは分からないが、いまオレは初めて自信を持って堂々と何の後ろめたさもなく理想とするものに向かって歩いている気がして、これは道重さゆみというアイドルに出会うことがなければ絶対にありえなかったことなのだ。道重さゆみの活動は今後もフォローしていくし、グァムDVDもすでに予約注文していく。応援していくことに変わりはないので、また何か書きたいことがあれば書こうと思う。とりあえず、一区切りのつもりで書いてみました。

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道重さゆみと瓦礫の中のゴールデン・リングなどについて。

昨日、「シンデレラ the ミュージカル」を観終えた後で、なぜかすぐに家に帰る気になれず、明治通りを1時間ぐらい散歩した。代々木、原宿、渋谷、恵比寿...かつてオレが色々な人たちとさまざまな思い出をつくった街である。舞台中に道重さゆみが転んでしまった件、そして終演後のトークショーにおいて少しだけ覗いてしまったような気がした心の闇、それが気がかりで、それを解決するにはどうすればいいのだろうかとモヤモヤした気持ちを抱え、体を疲れさせることでそれを忘れようとした。バカげている。いつか誰かが歌っていたように、好きすぎてバカみたい。

本人は別に気にせずに楽しくやっているかもしれないのに、こういう気分になったらもうダメだ。ブルーズは止まらない。ちょうど1年ぐらい前に、「ヤングタウン土曜日」でまだレギュラーになって2ヶ月ぐらいの道重さゆみが明石家さんまから「親方」としつこくからかわれて、本人が明らかに嫌がっているのにそれをしつこくしつこく続けて、道重さゆみは何とかチャンスを活かそうと自分の殻を破って果敢にチャレンジしているのに、それが空回りして裏目に出て、それが可哀想で可哀想で仕方がなく、心が痛んで眠れないことがあった。この道重さゆみの内面というのはオレの想像でしかないのだが、どうしてもそんな気がして止められなかったのだ。結局、夜中に「ポケットモーニング娘。」を通して、初めて道重さゆみに応援メールというものを送った。ここに書いているような気持ち悪いものではなく、さらっとシンプルにまとめたのだが、あれはちゃんと届いたのだろうか。いずれにしても、その後、鉛筆投げ事件などを経て、道重さゆみはすっかりあの番組を自分のステージにしてしまった。天晴れとしか言いようがない。あのときと同様のブルーズが、オレを襲い続けた。

恵比寿の瞠(みはる)というラーメン屋さんで味玉ちゃーしゅーめんを食べて、ビールを飲み、当初は中目黒まで行くつもりだった。かつてオレの夢が死んだ場所であり、その幻影を追い続けているかぎり、オレは本気で新しい現在を生きることはできないのではないかと思う。しかし、何だか色々なことがくだらなく思えてきた。いま感じているこのリアルな胸の痛みに比べれば、そんな感傷など取るに足らぬことだ。東口駅前のサンクスで缶チューハイを買い、恵比寿東公園で飲みながら考えていた。前日、六本木だとか麻布、広尾とかを歩いてみようと思ったのは、たまたま読んだ宮沢章夫の「東京大学『80年代地下文化論』講義」がオレの色々なトラウマを思い出させたからであった。かつて抱いていたさまざまな幻想はある時点でものの見事に砕け散った。そして、生きるか死ぬかを考えたとき、オレは結局生きることを選び、そのうちに新しい答が見つかるのではないかと思っていた。あれから随分と長い年月が立ったのだが、いまだに真夜中近くの公園で一人で泣きそうになりながら缶チューハイを飲んでいるのである。吐き気がするほどロマンチストだぜ。

そして、やるならばもう一度やるしかない。と思ってブログの記事を書いて新宿コマ劇場に行く前に新宿ぺぺのレコファンで1000円ちょっとで手に入れた佐野元春「HEART BEAT」をiPodにインポートして、それを聴きながら眠ったのだ。地方都市の中学生で、学校の規則で丸坊主だったオレは、このLPレコードをそれこそ擦り切れるほど聴いた。ターンテーブルにのせて、ヘッドフォンから流れてくる曲に合わせて歌ったり踊ったりして、その姿を鏡に映して見て悦に入っていた。

パーティ・ライトにシャンペングラス
Shakin' Shakin' Shakin'
It's a Friday Night
FENからロックンロール
ダイナマイトみたいな クレイジー・ナイト
Living in the city
The Night Life

ツィードのジャケット着こなして
おしゃれなあの娘と Friday Night
ジュークボックス いかしたリズム&ブルース
ドキドキしちゃうぜ クレイジー・ナイト
Living in the city
The Night Life
I love the Night Life

彼女のパパ ちょっときびしすぎる
久し振りならウィーク・エンド
寄りそっていたいのに
時計を気にしながら 早く服をつけて
髪も整えたら タクシーで11時までに
We gonna back home
We gonna back home

アルバム2曲目の「NIGHT LIFE」は、中でもお気に入りだった。14歳のオレはこの曲の中に幻想の都会の気ままな暮らしを思い描き、そのイメージは強烈なものとしてオレの潜在意識に刻まれている。酔っ払った頭の疲れきった意識の中で、オレはiPodのスピーカーから流れてくるそのサウンド、佐野元春の独特のヴォーカルが、オレの中にそのイメージを蘇らせていくのを感じた。あの頃に思い描いていた現在というのは、果たしてどんなものだったのだろう。

いつもと同じ時刻にちゃんと起きて、決まりきったルーティーンをこなし、インターネットで調べ物をしていた。そして、オレはちゃんとやっていく決心をしていたのだと思う。決めたことはふたたび理想を明確に持ち、その為にすべての時間を誠意を持ってちゃんと生きていくということだ。昔は25歳までに交通事故でガードレールにぶつかって死ぬのだろうと本気で信じていて、実際にその年齢がきたときには驚いた。その後も、あまり積極的に長生きしようとは思ったことがないような気がする。だから将来のこととか周りの人のことなども行き当たりばったりしか考えていなかった。人からもっとちゃんとしたほうがいいと言われると、決まって言っていたのが、今日死ぬかもしれないし、ということ。むしろ、死んでしまいたかったのかもしれない。しかし、いまはそうではない。

スカスカの心を埋めるために買った本、雑誌、CD、DVD、その他思い出の品などが無数にあるが、ほとんどは一生見返すことなんてないのだろう。いまは本当に必要なものがどういうものか分かるので、大半は売り払うか捨ててしまおう。当然、道重さゆみやモーニング娘。の写真集、DVD、CD、雑誌、生写真などは取っておくに決まっているのだが。そして、無駄遣いはもう一切やめようと思う。道重さゆみが「今夜もうさちゃんピース」の「ダジャレンボー将軍」のコーナーで「煙草はやめてほしいですね、いろんな意味で」と言ってくれたせいで、あれから煙草は1本たりとも吸っていないし、もう2度と吸いたいとも思わない。日々の技術の習得と成長が必要であり、それを実現するためにはやはり心身共に健康が一番である。生きている1秒1秒の意味の濃さがちがう。来月には13年ぶりに実家にも帰るし、過去のマイナスな面もしっかりと受け止め、その上で新しい現在を生き続けていきたい。これらのきっかけとなっているのはすべてにおいてモーニング娘。道重さゆみが素晴らしいからであり、もしもオレが今後社会的に何らかの有益なことを成し遂げたとしたら、それはこの平成ニッポンに道重さゆみという最高に可愛くて素的な女の子が存在していたからに他ならない。

どうかしてるな。

うさちゃんピース。

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夜をぶっとばせ。

この前にも書いたように、先日、新宿コマ劇場に「シンデレラ the ミュージカル」を観に行った。ちょうどその前日から、聖地巡礼、すなわち大好きなアイドルの出身地などゆかりの場所を訪ねる行動をしているうちに、これはすぐにでも本人をぜひ見たいという気分になったら、たまたま新宿でこのミュージカルに出演していたということだった。散々情報が出ていたように、お目当てである道重さゆみは端役であり、どうやらセリフも1つしかない。S席9,500円を支払ってまで観に行く価値があるのかという思いもあるにはあったのだが、いずれにしてもどうせ観に行くんだろうなとはある時期からはっきりと思っていたし、万が一観に行かなかったとしたら絶対に後悔するというのも間違いなかった。

結果、確かに端役であり、セリフも少なかったのだが、逆にいうと複数の役柄でそれぞれの姿が見られたし、舞台に登場している時間そのものはかなり長かった。そして、その動きや表情ひとつひとつがオレにとってはかけがえなく美そのものであり、こんな長時間に渡ってリアルにこれを体験できたということに大きな満足を得た。めちゃくちゃ歌がうまいとか演技が上手とかそういうことではないのに、何がオレをこれほどまでにも惹きつけるかはまったく分からないのだが、もうそれは理屈ではないのだ。少しでも情報を知りたいと思うあまりに、その過程で悪意ある言いがかりなどでオレを陥れようとする勢力との戦いなどがあるが、こうしてリアルな現場で本人を見ていると、そんなものは本当にくだらなく、とにかくこの瞬間の充足感というものこそがすべてだと確信することができる。だからもうオレは余計な言説に耳を貸したり、くだらない風評に迷わされたりはしないのだ。求める真実はその現実にあり、それはあいつらの思うこととはステージが違う。これはすでにつまり...。

すでに何度も書いているように、今更アイドルというかメディアの向こう側の対象に夢中になることなんてありえないはずだと思っていたのだ。そして、様々な偶然がオレをここに導いたわけだが、その初期において、情報を集めたいという思いから、ファンの方が運営しているいくつかのサイトを見た。それは実に衝撃的だった。いま、この時代にこんなにバカバカしいほど純粋に真っ直ぐにメディアの向こうの女の子のことを思っている人たちがいるのか、と。それはオレにはとても眩しく見え、日ごろ、調子よく器用な振りを装ったり自分を実際以上に優れているように見せることが習慣化した薄汚れていて、かつ生きている実感が薄い日常において、ひじょうに羨ましいものであった。やはりこうでなくてはダメだ。オレはこういうものをこそ求めているのだ。こういうものをマジヲタキモいとかいう風に感じる人たちとはオレは根本的に価値観が違うと思うし、永遠に分かり合えることはない。

仕事の資料集めのために海外の音楽やポップ文化に関する雑誌や文献に日常的によくあたるのだが、アメリカのローリング・ストーン誌の表紙をジョナス・ブラザーズという3人組の兄弟バンドが飾っている。ディズニーが関わっているらしく、アメリカでは低年齢の女子に圧倒的な人気があるようだ。記事を読んでいる中で、彼らとファンとの間の関係を象徴するものとしてピュアリティー・リングなるアクセサリーが気になった。これは、結婚するまで貞操を守るというバンドのポリシーが込められたものであり、リングには「真実の愛は待っている」「一生に一人」などと刻印されているらしい。バンド及びスタッフはファンとバンドとの間の信用関係の重要性をよく理解しており、パブリシティーの規制は徹底されているようだ。また、この雑誌には今年の初めのほうでブリトニー・スピアーズのカバー・ストーリーを掲載していた。かつてのトップ・アイドルも現在ではその奇行ばかりが話題になるような状態である。ブリトニー・スピアーズは当初、敬虔なクリスチャンであり、結婚するまで貞操を守るというキャラクターが評価され、絶大な人気を得た。そのファン層の中には、彼女に憧れる若い女の子だけではなく、中高年の男性も少なくなかったという。しかし、男性スキャンダルが出た辺りを境に人気が一気に落ち、慌ててアダルト路線にシフトするもののそれが裏目に出て、本人の精神状態もおかしな方向にいってしまったということである。実にまともだとしか言いようがない。

周囲に惑わされることなく、自分の価値観で選び、判断する。そうやって生きていくことが大事だというのはよく言われることだが、それが実際のところはひじょうに難しい。人間関係の中での同調圧力や仕事のキャリアアップのために自分を売り込む技術にも長けなくてはならない。競争のストレスや防御の為の攻撃とか、本来どうでもいいことで身も心もすり減らして、いったいその先に何があるというのか。毎日忙しく疲れてはいるが、充実感は無く、不安ばかりが常に追いかけてくる。真夜中に目が覚めて、自らの意志で積極的につかみ取ろうするものがもはや何一つ無いということに気がつき、呆然とする。家賃を払って、家族を路頭に迷わせない為だけに何とかやっていく。そうか、これがいわゆるミッドライフ・クライシスっていうやつなんだろうか。

本来の自分とはどのような者であり、どういう者でありたいのか。そういう視点から物事を見て、対処していけばいいのだ。弱さや不器用さは隠さず、それをしっかり見据えた上で、正しいと思うことをひとつひとつ経験していく。そういった過程を抜きにして、本当の力というものは獲得できないのだろう。成長とはそういうことだ。要領が悪く、スマートではなく、かっこ悪いのではなく、真剣に葛藤することが最高に美しくかっこいいと心から思うことができたから、限界を振り切って、新しく前へ進むことができた。そして、その感じはいまも続いている。その理由はおそらくすべて...。

当時17歳だったアイドルが、突然オレの精神生活に訪れ、なぜだかよく分からない魅力で、オレをその世界へと引き込んでいった。逃げられる場所があればどこでもよかったのかもしれない。それからの行動は、まさに理屈抜きのものであり、オレにこんな行動力がまだ残されていたんだと驚くほどであった。そして、それはあるひとつの結論へとオレを導いていった。

神のいない夜、不安や絶望が幾度もなく襲うことがあった。しかし、もうそれは遠い過去の話だ。

道重さゆみがいてくれて、本当によかった。うさちゃんピース。

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ふさわしい現実とは、果たして一体何のことなのか?

あと2日間で、道重さゆみ生誕19年である。某サイト管理人主催の企画にメッセージは送ったのでもういいだろう、という気はする。思えば、高校1年生の頃に、当時ファンクラブに入っていた某アイドルの誕生日に自作のバースデー・ソングをギター弾き語りで録音したカセットテープを贈った。芸能界に入ればそのアイドルと結婚できるかもしれないと思い、本気で芸能事務所に履歴書を送ったことがある。全く何をやっているのやら。地方都市の高校の学級では、自分の身を守る為に道化者のひょうきん者を装っていたお陰で、田原俊彦の物真似は未だに得意です。「歌ドキッ!」ポップス・クラシックで、ここだけの話、お母さんが大ファンだったと道重さゆみが紹介していたあの曲だって、たぶん振りつきで大丈夫だ。暗い...まったく暗すぎる。

地方都市の高校を卒業したものの大学入試に失敗した。実は1校は合格していたのだが、そこではない学校に行きたい気がしたし、行く気が無いのなら初めから受けるなという話なのだが、あの時に浪人は辞めてそこに行きなさいと言っていたのは母親だけだったのだが、結局、東京の予備校に通うことにして4畳半風呂なしの日当たりが悪いアパートで、はじめての一人暮らしというものを始めたのだった。

高校3年生の学級で一番好きだった女子は黒く長い髪の色白で大人しい子であり、休み時間にいつも一人で文庫本を読んでいるようなタイプ。数名の友達がいたので、そこまでは当時編集発行していたミニコミ雑誌の関係などで、仲良くなるまではこぎつけたが...とにかく絶望的に暗すぎる。

受験が近いというのに、3年の2学期も後半になって、学校が終わると暗いジャズ喫茶に入り浸り、ジャズなんていうのは正直よく分からなかったけれども、面白半分に友人の告白の手助けとか。まったくこんなことをやっている場合ではないのだが。精神的に不安定になり、納得がいかない答案を破いて教師にその場で殴られた。東京の大学を受けるのだから、そんなことをやっていてはダメだと言われた。

卒業式が終わり、大昔の話なのでとっくに時効の未成年飲酒。友人を振った女子が学級で一番いいと思っていた男子はオレだったらしい。そんなことをその場で聞くが、とにかく頭がグルングルン回り、翌朝、とにかく東京に行くまでに何とかしなくてはいけない。とりあえずオレがそのことを知らないふりをして、電話をかけた。酔っ払って迷惑かけてすまん、とかたぶんそんな内容。それを口実に会おうとか考えていたのに。絶望的に冴えなさ過ぎる凡庸な地方の高校生活。数日後、手紙が届き、嫌いになったどころか面白くて親しみやすくなったとか、知っているくせに全く不純な動機のはじまり。一人きりは寂しいだけだから、本当はどうでも良かったはずなのに。かくして、知っている人が誰もいない東京で、ポスト代わりの空の水槽にあの子の手紙が届くのだけを待ちわびる暮らしが始まる。よくもあんなに書くことがあったものだ。メールもケータイもない時代の話。夏休みにレコード屋、カフェ風レストラン、映画館、ジャズ喫茶、バス停とか...くだらないにも程がある。高校時代に好きだった超絶美少女は、警察を目指して勉強中という情報が入っていたが、髪にパーマをかけてディスコで男性を含むグループで踊っていたという噂を友人から聞いただけで、一気に思いが立ち消えた。そもそもすでに顔の輪郭すらも覚えてはいなかったのだ。

道重さゆみぐらいの年齢の頃にオレは何をやっていたかと考えると、そんな感じだったというわけだ。

間もなく東京でも友達ができたし、相変わらず六本木ウェイヴとかオンステージ・ヤマノとかでネオ・アコースティックやニュー・ウェーヴのLPレコードを買い漁ったり。そこでまた、埼玉県から通っている勉強ができる色が白くて小さな子を好きになったりしたのだった。何者かになるつもりではあったのだろうね。

正直、ここまで続いているとは思っていなかった。人生も道重さゆみのファンでいることも。

ちょうどその時期に巣鴨駅前の書店で見かけたのだが、ある文庫本の帯に「人生のピークは19歳で、その後は長い下り坂」というようなことが書いてあった。そんなバカなことがあるか、こんな冴えない今のどこがピークなんだよ、馬鹿野郎と思ったものだが、その後、もしかするとあれは本当だったのではないかと思える瞬間も無いわけではない。

根拠はないのだが、なぜだか25歳ぐらいまでには死んでいると勝手に思っていたのだが、それがそうはいかず、さらに気がつくと就職、結婚とか。一切ビジョンに無かったことばかりが意図しない方法で現実化し、つまりこれは負けたということを意味するのだろうか。思い通りにばかりはいかないし、その時その時で妥協せず精一杯の選択をした、その結果がおそらく最善だというのだが、お前は只今しあわせかい?

誤魔化し、やり過ごす日々が終わり、すでに間に合わぬ予感に溺れたままあるべき現実などをなぜに目指してしまったのだろう。何かに導かれるように、偶然に出会ったが為、その瞬間にオレはあるべき精神状態を理解してしまったし、それを獲得しなければならないと分かった時、そこにあったのは未来への希望ではなく、失われた何者かに対しての激しい悲しみであった。全ての予定調和としがらみをぶち壊すことが、それからの作業になった。それは苦痛であり屈辱的な数々の場面の繰り返しであった。それでも少しでもそこに近付いていると思い、そこに向かうしかもう生きるべき道は無いのだと思ったのだ。迷ったり打ちひしがれそうになった時、道重さゆみの画像、動画、音声だけは間違いなく完全に正しかった。理由としてふさわしい唯一のものだった。

現実逃避の為に芸術を必要とするのではない。ふさわしい現実を獲得する為に、ビジョンが必要なのだ。具体的にどうするかは、限界が来れば自ずと次が見えてくる。そんなことばかりを続けていくのだ。苦しみや痛みには実感がある。屈辱と侮辱を甘んじて受け入れる。そして、研ぎ澄ましていく。不安と失望を打ち負かすには、とにかく自らが力になる以外にない。錯綜して確かなものが見えず、昨日の真実が今日の嘘に見えるようなことがあっても、うさちゃんピース!と呟けば、すべては正しく導かれるはず。

そんな風にして、また続いていく。

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といういうわけで、改題しました。

このブログは、かつて「卒業-さゆみんに」向かってという題名だった。これは、オレがモーニング娘。道重さゆみという10代のアイドルに覚醒することによって、大人になる過程で魂が濁り、心が薄べったくなってしまったという悲しみを強く意識させられたという体験が発端となっていた。結論として充実した生の獲得のために不器用でも葛藤を続け、その状態がそのものとして美である状態をさゆみんと名付け、そこにオレがたどり着くまでのドキュメントになるはずであった。ゆえに、卒業。かつて愛読した「卒業-KYON2へ向かって」という書物へのオマージュでもあるのだが。

モーニング娘。なんか一切興味がなかったオレが道重さゆみという実存に出会うことによって、この世に完全なる美が存在し、それがいかに悲しく切ないものであるかを知ることができ、それをオレはしあわせなことだと思った。そして、もう一度ちゃんとやってみようと思ったのだ。

道重さゆみを知ったことによって、色々な変化が訪れ、人生で初めて経験することもたくさん起こった。しかし、それゆえにこれまでは器用に立ち回ってきたことも、真っ直ぐに受け止めて葛藤しようとするから、行き詰ってしまうようなこともあった。不可抗力もあって、ちょっとメンタル的にヤバめだったのが先々週ぐらい。でも、なんとかここを突き破らないと。分かってはいるのだがなかなか動けない状況。そして、ある閃きが訪れた。向かう先は決まっていた。

予定が入っていたので翌週か翌々週になんとか都合が付けられればと思っていたのだが、その予定が急に吹っ飛んだ。それが先週の月曜日のことだった。パソコンであらゆる準備を整えて、出発の水曜日を待った。「今夜もうさちゃんピース」をiPodにインポートしたりしていたら、眠るのが随分と遅くなってしまった。4時半に起きるつもりが約1時間も寝過ごしてしまった。間に合うかどうか分からない。チケットはもう取ってしまった。渋谷駅や品川駅の構内を全力疾走...そして、なんとか間に合った。

朝9時に現地に着いた。前回は新幹線だったが、今回初めて空路を利用してみた。前日予約ならこっちの方が安いことも分かったし。地図が無くても歩けることに驚いた。前回と同じ草江のローソンで携帯電話の充電器を買った。今回はいくつかポイントがあって、前回行こうと思って結局行かなかった和風海浜レストランかめうら苑でランチメニューの瀬戸内定食を食べようと思っていた。しかし、開店の11時にはまだ時間がある。ときわ公園まで歩く。

宇部日報のホームページで、日曜日に桜が満開になったことは知っていた。それにしても美しい。感動した。前回も訪れた白鳥やペリカンのいる湖。そして、前回は行かなかった遊園地、動物園の方にも行ってみた。遊園地はジェットコースターや観覧車の他、ゴーカートやロケットの形をした乗り物が空に向かって上っていくものなど、幼少期に家族に連れられて行ったいにしえのレジャーランドを想起させるもの。また、遊園地も鳥や猿などが中心。大いに和んだ。彫刻もあいらこちらにある。歩いてすぐにこんな場所があるような環境で道重さゆみは育ったのだなと思うと、感激もひとしおであった。

歩いてかめうら苑まで戻ると、なんと材料不足のため臨時休業とか...。仕方がないので宇部線亀浦駅まで歩き、宇部岬で下車。先週の「ヤングタウン土曜日」で、道重さゆみは地元に漁港は無いと言っていたが、どうやら宇部岬漁港というのがあるみたいだ。前回、ここのゲームセンターで道重さゆみがプリクラを撮ったというのを聞いたことがあったので訪れたフジグラン宇部という商業施設を訪れる。2階の筑豊ラーメンの店で昭和ラーメンなるものを食す。1階のバッハ書店が改装されていた。今回は琴芝なるビジネスホテル宇部を予約していた。インターネットで調べていて、ひかり回線というのが決め手になった。「今夜もうさちゃんピース」の書き起こしもしなくてはならないし。しかし、チェックインは午後4時から。時間をもてあましていたが、とりあえず宇部新川まで出ようと、また宇部岬駅へ向かう。そしたら、雨が降ってきた。

天気予報は晴れのち雨だったので、これは想定できていたこと。セブンイレブンでビニール傘を買う。ちょっと風が強めだがそれほど深刻ではないだろう。宇部線で琴芝を通過して宇部新川で下車。この時点で雨はかなり激しく、風も強くなって、何度も傘が壊れかける。途中のあちこちに彫刻などがあって写真を撮ったりしたかったのだが、どうやらそれどころではないみたいだ。着ていたシャツやジーンズもずぶ濡れで、靴の中も水浸し。しかし、チェックインにはまだ時間がある。コンビナートの近くにTSUTAYAやマンガ倉庫なるお宝系古物販売店があったので、時間を潰したりする。そして、やっとホテルに着く。服を着替えたりするよりも先に、ノートパソコンのコンセントを差し、電源を入れた。なんだか変な音がしてなかなか立ち上がらない。強制終了して再起動すると、「Operating System not found」という無常のメッセージ。携帯電話で調べるも埒があかず、どうやら深刻な事態らしいことだけはなんとなく分かり、覚悟を決めた。

底面からピンを差してリセットというのを過去にやったことがあると思い出し、ダメモトでセブンイレブンへ。クリップやピンが売っていないので、ホチキスの針を買った。これを伸ばしてピン代わりに使おうと思ったのだ。それと九州と山口県でしか売っていないアスキャンディー、ブラクモンブランとタウン情報誌「YAMAGUCHI」、それと無糖のアイスコーヒーなんかを買って帰った。ロビーでLANケーブルを借りたが、結局使うことは無かった。ホテルの湯船に浸かりながらブラックモンブランを食うという贅沢を楽しんだ後、テレビ山口をつけながらベッドで仮眠。携帯で調べると、妻崎なるところにインターネットカフェというか漫画喫茶の「自遊空間」があることを知る。夜8時前ぐらいにホテルを出て、琴芝駅から宇部線で宇部新川下車。しかし、妻崎へ行く野田線が1時間ぐらい無い。というか、宇部線自体、基本的に1時間1本なのだ。とりあえず駅構外へ出ると、宇部進という学習塾があった。ここには道重さゆみが小学校6年生から通っていたという噂があるが、真偽のほどは定かではない。

その前に止まっていたタクシーに乗り、自遊空間まで行ってもらう。車内にナビとかは付いていなくて、携帯電話でセンターみたいなところに連絡を取っていた。世間話的に事情を話したりする。無事、到着。実はこういうインターネットカフェというか漫画喫茶を利用するのは初めてだったのだが、ファミリーで使える部屋とかカラオケができる部屋とかがあったり想像していたよりもキレイでオシャレでびっくりした。スタッフも親切だし、メニューを見る限り料理も本格的っぽい。普通のパソコンの席を選んで、「卒業-さゆみんに向かって」管理ページにログイン。iPodで「今夜もうさちゃんピース」の書き起こし開始。どうもiPodの反応が悪い。巻き戻ししたらフリーズしたりする。何とか2時間ぐらい進めたところで、iPodが起動しなくなる。ディスプレイが曇っていたが、どうやらこっちも雨でハードディスクがやられたみたいだ。これではもう仕方がない。6時間コース1,800円にしていたのに。清算して外に出てタクシーをつかまえて、ホテル近くのセブンイレブン前で下車。結局、セブンイレブンの明太子スパゲティをホテルの部屋で食べて寝る。

翌朝起きると、雨は上がっていた。8時過ぎにホテルを出て、宇部線で常盤駅下車で散歩する。亀浦からバスに乗って宇部岬の近くで降りて、またフジグラン宇部。店内にはオリジナルの曲が流れていて、それがいかにもしあわせ家族といった価値観の歌詞とメロディーで、感きわまる(よく分からん)。前日から歩きながら色々なことを考えていた。現在のこと、これからのこと。バッハ書店でぼんやりと本を見ているうちに、オレが本当にやりたいこと、やるべきことの輪郭がだんだんはっきりしてきた。薄々気づいたり散々他人に言われたりしていたが、なかなかやろうとしなかったこと。そして、その2冊の本をオレはバッハ書店のレジに持っていっていた。心を決めた。覚悟を決めた。ここに至るまでこんなにかかった。宇部まで来てやっと分かった。

晴れやかな気分だった。そして、感動していた。もやもやしていたものは完全に無くなっていた。目の前には理想が大きく開け、オレは今すぐにでも行動を起こしたい気持ちでいっぱいだった。そして、宇部岬からふたたび常盤へ。かめうら苑が営業していた。念願の瀬戸内定食を注文。ご飯にはしそわかめというふりかけ。シンプルだがこれが実にうまい。道重さゆみがしそが大好きだと言っていたのは小さい頃からこれを食べていたからだろうか。この店は地元で取れた食材しか使わないというこだわりを持っているとインターネットで読んだ。あさり汁も最高に美味い。そして、刺身や天ぷらやフルーツもある。練りの芸術品とも呼ばれているという宇部のかまぼこも数切れ付いている。これまで食べてきたかまぼこの中で一番おいしい。すっかり満足し、亀浦のバス停から山口宇部空港へ。搭乗まで時間があったので、さっき買った本を読み始めた。内容がスイスイ頭に入ってきた。興奮した。オレはこれから充実した生の獲得へ向けて、不器用な葛藤を繰り返していく。やがてそれが何らかの美を生み出せるとよいのだが。

飛行機が滑走路を離れた。ときわ公園の観覧車、コンビナート、フジグラン宇部...。ありがとう。こうして、オレのさゆみんへの卒業は完了した。これから、この平成ニッポンというリアルな現実を生きていく。クソッタレなことがいくらあろうとも、このわれらの時代には道重さゆみがいる。これからは、「われらの時代に-道重さゆみと平成ニッポン」と題し、平成ニッポンのリアルな現実、本気の現実を生きる上での有効なテキストとして、道重さゆみに関する文章を綴っていきたい。とかいって、どうせラジオの書き起こしとか回りくどい公開ファンレターなんだが。

ほんとうにオレの明日はどっちなんだろうな。


オレがこんなことをやっていたちょうどその週の「ヤングタウン土曜日」で、道重さゆみがあそこまで地元のことを話すというのもなんという偶然というか...。

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結局、オレにとって道重さゆみってなんなんだろうな。

という訳で、前回ここに書き込んでからえらく期間が開いてしまった。最近の書き出しは常にこんなのばっかりなのだが、けして道重さゆみに対する思い入れが弱くなってしまったという訳ではない。このところとても多かったテレビやラジオの出演分についてはフォローしているし、毎日書いているmixiの日記にはさゆについて書かない日はほとんど無い。オレのマイミクの方はご存知のように、そもそもはmixiの日記にさゆについての記述が多くなりすぎて、かと言ってオレのマイミクにはさゆヲタどころかハロプロに興味がある人すらほとんどいない為、さゆについての文章を独立させようとして、この「卒業-さゆみんに向かって」を始めたのだ。

サブカルノリでネタとしてアイドルを語るという行為はオレが中学生ぐらいの頃からやってきた韜晦的な身ぶりなのだが、ある時期からアイドルには一切興味が無くなった。まぁ、一般的な成人男性のたどるプロセスであろう。モーニング娘。が国民的アイドルとしてバカ売れしていた頃に、おニャン子クラブ世代のアイドルファンがハマっているという話を聞いたことがあったが、オレにはあまり興味が持てなかった。もうアイドルを好きになるなんてことはこの先二度と無いだろうと思っていたし、それでいいはずだったのだ。

2ちゃんねるはネタを拾う為に時々覗いていたのだが、何をきっかけとして雑談2のモ娘(狼)板にたどり着いたのかさっぱり分からない。しかし、そこで繰り広げられるいわゆるヲタ論争だとかネタスレッドが結構面白かったので、メンバーの顔と名前もろくに知らないまま、暇つぶしに読んだりしていた。ある日、「だらしなくていやらしい亀井絵里の体」というスレッドが気になり、ネットで検索して亀井絵里というメンバーの容姿を確認してみたことはあった。

仕事の休憩時間にたまたまテレビをつけると「ハロー!モーニング」をやっていた。ちょうど、モーニング娘。30枚目のシングル「Ambitious!野心的でいいじゃん」の発売を記念して、過去の楽曲にまつわるクイズとかをやっていた回だったと思う。そこで、亀井絵里を確認し、その後、気にしながら毎週「ハロー!モーニング」を見ることにした。天然っぽいキャラクターと声質が結構好きだった。ある週の放送で、心理テストの企画をやっていて、亀井絵里が親友の道重さゆみをどのように見ているかというものだったのだが、結果は「利用している」だけというものだった。亀井絵里はへらへら笑っていたが、道重さゆみはショックを受けているようで、涙ぐんでいた。

モ娘(狼)のスレッドやネットで拾った過去のハロモニの映像からオレが道重さゆみに対して抱いていたイメージというのは、かわいいものが大好きなナルシストキャラというもので、そのイメージは幼女に混じって「オシャレ魔女ラブ&ベリー」に並ぶというエピソードや、道重さゆみをコンビニの店長に見立てたネタスレッドにおける「カオスじゃないの キュートでプリティーなの」という台詞などによって補完されていった。

その後、ある事情があり、亀井絵里及びモーニング娘。に対してあまり興味がなくなり、「歩いてる」や昨年末の紅白などの頃はほとんど見ていない。なぜか、モ娘(狼)板だけは時々覗いていたのだが。

ある日、ネットで発売前の「笑顔YESヌード」を「うたばん」で歌っている映像を見て、なぜだかモーニング娘。に対する思いが再燃した。素直に楽曲が気に入ったこともあるのだが、各メンバーの個性を活かしたパート割りなどに、オレがかつてアイドルグループを楽しんでいたやり方が本当に久しぶりにかっちりとハマったのかもしれない。オレは「笑顔YESヌード」のシングルCDを発売日に買ったのだが、これはオレが初めて買ったモーニング娘。及びハロー!プロジェクトのCDであるばかりか、約9年ぶりに買った日本人アーティストによるCDであり、約16年ぶりに買ったアイドルのCDであった。

道重さゆみが10月から「今夜もうさちゃんピース」というソロラジオをやっていることは知っていたのだが、それほど興味を持ってはいなかった。これもモ娘(狼)で拾ったネタなのだが、道重さゆみがこの「今夜はうさちゃんピース」の公式ホームページで愛用の髪飾りの写真を公開していて、これに対しての感想をヲタが語り合っているスレッドがあった。オレもネタのつもりでリンク先へ飛んでみたのだが、そこには小さなうさぎの顔がついた小学生の女子がつけているようなかわいらしい髪飾りの写真が掲載されていた。ここで、オレは道重さゆみのかわいいもの好きのキャラクターが筋金入りの本物なのだなということに気付かされた。このスレッドには、「この気持ち、なんだろうな」というような書き込みがあったが、オレが持った感想もこれと同じようなものだった。オレは結婚もしているしオトナの女子ともちゃんと付き合ったことが何度もあるし、断固として幼女や極端に年下の女子ばかりを愛好する嗜好の持ち主ではないのだが、この時に感じた思いというのは、本当にオレの潜在意識の中にすっかり埋もれてしまっていたものであり、小学校高学年ぐらいの頃に同じクラスの女子に対して抱いていたような甘酸っぱい憧れのようなものを呼び醒まされる体験であった。

さらに数週間後、「今夜はうさちゃんピース」の内容をネタにしたスレッドをまたしてもモ娘(狼)で発見した。それによると、道重さゆみは小学生の頃にダンゴムシを拾って学校の机の引き出しで飼っていて、紙ですべり台などを作って遊んでいた。さらに、苗字が道重であることから男子から「みちし原人」と呼ばれてからかわれ、それが嫌で仕方がなかったという。さらに調べていくと、小学校時代はとてもおとなしい性格で、友だちもあまりいなかったということが分かった。道重さゆみの自己愛がこういった幼少期を経て形成されたものなのだと気が付いたことにより、オレは道重さゆみに対し、かつてメディアの向こうの対象に対して抱いたレベルとしては最大の思い入れを抱くに至った訳である。

モーニング娘。のメンバーの中での道重さゆみのポジションというのは歌もダンスも上手ではなく、とにかくかわいいのが取り柄という感じなのだということも段々分かった。しかし、後輩であり自らが教育係を担当した久住小春の台頭により、このキュートでプリティーな妹的ポジションという存在意義も危うくなっていた時期でもあった。道重さゆみ本人がモチベーションを失っているのではないかという推測や同期の亀井絵里や田中れいなと比べて人気が無い、ソロ写真集が出ないといったアンチによる叩きや煽りも結構多かった。しかし、吉澤ひとみ卒業、藤本美貴脱退を経て、高橋愛体制となった辺りから、道重さゆみの仕事がどんどん増えはじめた。藤本美貴の後を受けてレギュラーに抜擢された「ヤングタウン土曜日」、更にデビュー4年目にしてやっと出た2冊目のソロ写真集「憧憬」からわずか半年で3冊目「17~ラブハロ!道重さゆみ」の写真集及び初のソロDVDの発売が決定。「女に幸あれ」のプロモーションでは、ラジオ番組にゲスト出演してモーニング娘。の広報的な役割を担うことも多かった。

8月2日に大阪で行われている「オーサカキング」というイベント会場で、道重さゆみと光井愛佳がラジオ公開放送にゲスト出演するという情報を見た。これについては過去の書き込みでもふれているのだが、この後で、オレはこの「卒業-さゆみんに向かって」を始めることを決意した。

オレはモーニング娘。のコンサートにはいまだかつて行ったことが無く、道重さゆみのことは無料イベントや公開録音で数回見たことがあるに過ぎない。CD、DVD、写真集は購入しているが、グッズや生写真は一切買っていない。オレが中学生や高校生だった頃とはアイドルファンのあり方というのも大きく変わり、現場系、在宅系といった分類などもある。オレは出身が地方だったこともあり、アイドルの現場に行ける機会などというのは滅多になかったのだが、レコードは全部持っているほど好きなアイドルであっても、せっかく地方まで来てくれたサイン会や握手会などには特に興味を示さなかったような過去がある。つまり、典型的な在宅系ということ。

現在は普通に一般企業で会社員をやっていて、音楽もUKインディー系などを主に好んで聴いている。オレの周囲にアイドルファンやモーヲタは一切いない。オレは特にヲタを隠す訳ではなく、大袈裟にカミングアウトすることによって、自分の大切な本質の部分は死守しようとしている。リアルの知り合いの中にはここを見ている人も多いのだが、基本的にヲタではないので、実際に会って道重さゆみの魅力や先週のハロモニについてなど語ることは一切無い。むしろ、それこそスイーツの話などの方がよっぽどしているような状態である。

正直、道重さゆみに対してどのようなスタンスで自分をアイデンティファイすべきか、いまだによく分からない。コンサートには状況さえ整えば確実に行きたいのだが、かつてのイベントや公開録音などでも感じたのだが、あのヲタ空間において自分が一切馴染んでいない。たまたま通りかかった会社員のふりをしているような状態である。だから、実はスケジュール的には行けないこともなかったパシフィコ横浜での文化祭にも行かなかったのだ。

かつて、オレはオレにとって道重さゆみの最大の魅力というのは生の充足としての葛藤が美として結晶化している状態であるというようなことを書いた。それはオレが本来そう生きたいと思いながらも実行できずにいる理想的な状態のことであり、すれっからしで不承不承生きているような状態からそこへと向かっていくプロセスを記すドキュメントというのが、この「卒業-さゆみんに向かって」というネーミングにこめられた思いではある。80年代に野々村文宏・中森明夫・田口賢二の新人類トリオによって記された「卒業-KYON2に向かって」のもじりでもあるのだが。

これはオレが道重さゆみから受けたイメージを自分勝手に解釈して都合よく加工したものでもあるのだが、道重さゆみが「みかん」という曲の歌詞を相当気に入っていると発言していることからも、あながち外れてはいないような気がしてきた。

積極的に生きるんだ、人生は1回、生きるために泣いている赤子のようにいつの日も純粋な心であれ、初めて恋をした時どうしていいか分からず大きな音で曲聴いた、人間みな好きになれ、苦手な人だからこそ大切だろ、一世紀満たぬ人生だから、今日も明日も毎日は24時間、悲しみ喜びもあり優しくなれ、どんな人も朝の陽に包まれる...etc。

「さゆみも本当に『みかん』が好きで、今年2007年一番嬉しかったことが『みかん』を発売できたことなんですよ。本当にそれぐらい歌詞がすごく共感できて、なんか、生きるっていうのがテーマな曲なんですね。もうそれが、なんか、なんかすごいモーニング娘。っていいなって思うんですよ、この曲聴いたりとかPVとか見てると。なので、すごく好きで、だからこのモーニング娘。大好きさんにもそれが伝わってるって思うと本当に嬉しいです。なので、これからもみなさん、積極的にいきましょう!」(「今夜もうさちゃんピース」#61より)

ここにはなんだかマジヲタ的な内容のことばかり書いてしまい、自分で気軽に書き込めない雰囲気にしてしまっているような感じがする。当初は自分の中に突如として起こった道重さゆみというムーブメントがなにやらさっぱり分からずに、そのことを解き明かしたいが為にとにかく文章を書きまくっていた。現在、オレにとって道重さゆみが出演したラジオやテレビを視聴することは日常的な行為となっている訳だが、それほど大袈裟に書くようなことでもない。だから、簡単な感想などをmixiの日記などに書いている。今後はここにも日々感じたちょっとした感想なども気軽に書いていけるようにしていきたい。

ちなみに先々週から先週にかけて出演していた「TBC FUNふぃーるど」や「歌ドキッ!」やエコモニで出演していた「中山秀征のBeautiful Japan」などをやっと視聴し終えたのだが、いよいよ今週末には今年3冊目の写真集「蒼蒼(そうそう)」が発売、大晦日には紅白歌合戦もあるし、さゆ不足に悩まされるようなことは当分無さそうである。

おやさゆみんノシ

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ここ1週間のラジオやテレビの感想など。

11月14日から会社の研修で海外に行っていて、19日の夕方近くに帰ってきた。成田空港で手荷物を受け取る間に携帯電話の電源を入れると、たまっていたメールが次々と受信された。パソコンも持っていかず、携帯電話もあえて海外で使えるもののレンタルなどをしなかった為、まる5日以上もインターネットに接続できない生活だった訳だ。ネットに依存する比率が高いという自覚があったのだが、案外平気だった。それだけ毎日面白いことや刺激的な体験があったということでもあるのだが。

調布行きのリムジンバスのチケットを買い、バスが来るのを待つ間、携帯電話からこのブログのコメント欄をチェックしてみた。さゆさゆさんのコメントで、さゆの今年3冊目の写真集が発売されることを知る。帰国早々おめでたい。デビューから3年で1冊しか出ていなかったのが、この1年で一気に3冊というのはかなり凄い。「憧憬」のスタッフが再集結して制作されたということで、かなり楽しみだ。

日本を留守にしている間には「今夜もうさちゃんピース」の生放送80分拡大SPと「ヤングタウン土曜日」と「ハロモニ@」の放送があった訳だが、仕事の合間にこれらを一気に視聴した。特に「今夜もうさちゃんピース」はいつもの約3倍の80分間の放送で、亀井絵里、田中れいなの同期メンバーを迎えての生放送であった。生放送らしく、投稿をメールで生で募集するというライブ感が面白かったようだ。田中れいなの誕生日をサプライズで祝ったり、プレゼントを買ってきたりという場面では、特にさゆの素のしゃべりが出ていたように思う。狼などでさゆのAAが必ず言う「~なの」「~の」といったのが聞けたり、ところどころ方言っぽくなったりしていた。また、コンサート中に亀井絵里が田中れいなのお尻をさわったという話の部分では、かなり羨ましがったりしていた。「さわり心地は?」「最高です」などのはっちゃけたトークが展開し、生放送で編集できないから注意しようと少し反省しているようだった。それにしても亀井絵里の適当キャラがかなり面白い。番組冒頭から途中で寝ちゃいそうと言ったり、「かめいらっしゃい!」といった寒いギャグを言い、急に出てくるのが凄いとれいなに言われると、「絵里ねぇ、面白いの」と言ってブーイングを浴びたり、いつのまにかポケポケプーなどというあだ名が付いていたことも初めて知った。

「ヤングタウン土曜日」はここのところ続いているさんまの長澤まさみに対する片思いネタが更にパワーを増し、これにショージがつっこんでいくというパターンが軸になっている。高橋愛と道重さゆみもこれに対して半ばあきれたような反応をしていくといった感じ。「みかん」のジャケット写真のさゆが太っていると指摘されたり、「村上ブログのコーナー」で咳きこんで、さんまから「プロなんやからちゃんとせい」という感じで叱責されたりしていた。「リスナーを癒せません」ではますます腕を上げ、さんまが大絶賛していた。ダメ出しによるやり直しではなく、もっと良くなりそうだからというニュアンスで何度もやり直しをさせられたが、その度にレベルが上がっていき、「やれ」というさんまに対して「やりたいです」と、さゆも積極的に取り組んでいた。当初このコーナーに否定的だったオレだが、これはさゆがいやいややっている感があった為であり、さゆがのってやっているのならばそれはそれでいい。

「ハロモニ@」では、南海キャンディーズをゲストに迎えて、ホテルの料理を均等に取り分け、多すぎたり少なかったりしなかった人だけが食べられるという企画があり、さゆだけがこれをクリアーして食べるという文字通りおいしい流れになっていた。また、「きらりん☆レボリューション」とのコラボ企画では、さゆがデザインした敵猫のネーミングが採用された女の子の家を、久住小春とさゆが突撃訪問するというのをやっていた。オレがかつて住んでいたことのある小田急相模原が映ってテンションが上がった。採用された女の子は1番好きなメンバーが久住小春で、9番目に好きなのがさゆだと言っていた。かわいいけどたまにキツいことを言うのが理由だそうだ。二人が突撃すると、女の子は放心状態だったが、小春の方ばかり見ていて、さゆのことは一切見ていない。「さゆみのことは何番目に好きですか?」と聞かれて、躊躇しながら「4番目」と答えていた。最後は「みかん」のスタジオライブがあったが、前列で生き生きと歌い踊るさゆの姿に感激した。

おやさゆみんノシ

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ここにきて更新頻度が著しく落ちている訳だが。

8月2日、オーサカキング会場での生さゆ体験の衝撃を直接の契機として立ち上げたこの「卒業-さゆみんに向かって」だが、当初は毎日長文更新など凄まじい勢いがあり、モ娘(狼)で「マジヲタブログの極致」なんてことを言われたこともあったのである。それが、なんですか?ここ最近の更新の少なさは!しかも、前回の記事なんてただの書き起こしじゃないですか。オレの感想なりコメントすら1文字たりとも入っていないという体たらく。まさかさゆへの思いが惰性になってきてるんじゃねぇだろうなゴルァ!などという罵声が聞こえてきそうだが、そんなことは全然ナッシング!ナッシングとかちょっと古いですけど。

オレは3月くらいからmixiの日記を毎日つけていて、これすらさゆが日記を毎日つけていることにインスパイヤされた行動なのだが、その日記にさゆに関する記述があまりにも多くなりすぎてあいまったのだ。それで、さゆとかハロプロとかに全く関心ナッシング。。。ナッシングとかちょっと古いですけど、なオレのマイミクさんの大半が置いてけぼりを食らうという自体が生じたため、さゆネタだけを記録しておく場所をどこか作らなくてはな、などと思っていたわけだ。そして、衝撃の8月2日なわけだ。詳細はこのブログの「オーサカキング」「ヲタであること」などに書いているわけだが、戯れに興味を抱いた道重さゆみというアイドルが、ひょんなことからオレが真剣に充足した生を再獲得する為の努力の契機となってしまったわけだ。そして、道重さゆみというアイドルを通した自分語りとしての「卒業-さゆみんに向かって」が始まったわけである。

当初は好きな時に好きなことを気軽に書こうと思っていた。そういう場所であるはずだった。しかし、なんかオレにとってのさゆの存在があまりにも重要すぎて、かなり痛々しく重たい内容のことをたくさん書いてしまい、それによって何だかオレにとってここに書き込むことのハードルが高くなってしまったのだ。以前としてさゆはオレが理想を追求する上での明確な基準であり、オレが世界を真剣に生きるに足る場所と認識する為の理由である。オレが現実で直面した問題から逃げそうになる時、「そんなことでさゆに対して恥ずかしくないのか?」と自問自答する。それでなんとか乗り越えていく。さゆがいなければおそらく起こらなかったであろうことが、ここ数ヶ月間だけでもたくさんオレに起こっている。確実にどうかしていますね。

さゆ大好き!

閑話休題。

先日、社員旅行があった。オレがさゆヲタであることは、すでに一部の社員に知られている。よって、面白がってそういう話をオレに振ってくる人たちもいる。さゆがいかにオレにとって重要な存在であるかを語るオレの話も笑って聞いている。しかし、ひとたびこのブログを読んでしまった人たちは、2度と軽々しくさゆの話をオレに対して振ってこない。そして、彼らの瞳はこう語っている。「この人、マジですやん」。

ごく親しい人たちは知っていることなのだが、1年前のオレはトリックスターを自認していて、そのような言動や行動を繰り返していた。しかし、現在はいかに無様に葛藤し続けるかをテーマにしている。これを突き詰めれば、やがて充足した生の再獲得へとつながるのだということをかたくなに信じている。これは紛れもなくさゆの影響である。まったくどうかしている。

先週のヤンタンではさゆが痩せてしまってつまらないと、さんまが言っていた。高橋愛ちゃんがさゆはモーニング娘。の中で細いベスト3に入ると言ったのに対し、さゆは「ないないないない」と否定していた。愛ちゃんは「ほっせーし」と言っていたが。また、愛ちゃんがさゆは背が高くてスタイルがいいと言ったのに対し、さんまが身長はどれくらいあるのかと質問したところ、さゆは160.6とやけに細かく答えていた。そして、「立ってみぃ」とさんまに言われ、本当にスタジオで立ち上がったさゆに対し、さんまが「本当に立つんだ」と言ったのだが、さゆがこれをマジで恥ずかしがっていて、聴いていたオレは萌え死にそうになった。番組前半ではさんま、ショージ、愛ちゃん、さゆがお菓子の話をまったりしていて、実に和やかなムードであった。また、微妙な内容になってしまっている「道重親方のコーナー」を申し訳なさそうにやっている様子にも良いものを感じた。

「ハロモニ@」ではクレーンゲーム名人のちびっこに挑戦するコーナーに出演した。他にはえりりん、れいな、ジュンジュンが参加していたが、失敗を繰り返すメンバーの中で、さゆが2回も景品をゲットしていた。てっきりさゆが主役かと思っていたのだが、ちびっこ名人との引き分けドローの末の決勝戦でれいなが景品をゲットして、結果として娘。チームがこのコーナー始まって以来の初勝利となった。そして、れいなが感激のあまり涙。これはかわいすぎる。「なんでこれ泣きようとかいな、れいな?」。今回はれいなの完全勝利を認めるわ。

そういった訳で、充足した生の再獲得としてのさゆみんへの卒業へ向け、リアルな現実におけるオレの葛藤は続いているわけだが、それゆえに、何やら多忙をきわめている。よって、今週のこんうさピーを聴けるのも土曜日以降になるのだが、このかわいいレイディオがオレの精神生活に占める意味はますます深く濃いものになっていくのであろう。苦しい日々が続いているが、充足している。どんなに辛くてもさゆがいるから問題ナッシング。ナッシングとかちょっと古いですけど。

おやさゆみんノシ

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さゆのことが好きでほんとうによかった

今週のヤンタンはまだ聴いていない。毎週土曜日は仕事なので、聴けるのはいつも日曜日以降。ついさっき掲示板の実況及び関連スレッドの閲覧を終えたばかりだが、今週もさゆ発信の話題で大賑わいのようである。

先週の放送では道重さゆみが山口県の実家に帰って顔に少しお肉がついたことを明石家さんまに揶揄され、ブタや相撲の親方やデブタレントのモノマネを強要されたり、親方と呼ばれたり、番組は盛り上がっていたものの、さゆが精神的にダメージを受けているようでもあり、聴くのがかなり辛かった。この問題に今後どのように対処していくべきかオレも考えようと、さんまやヤンタンのことを色々と調べてみたりもした。正直、今週の放送がどうなることやら気が気でなかったわけである。

収録はおそらく金曜日に行われたのだが、その後に道重さゆみは高橋愛、ジュンジュン、リンリンらとBerryz工房のコンサートを観覧している。mixiなどの目撃情報によると、特にテンションが低そうな様子もなかったため、ひとまず安心はしていた。長髪のスタッフといちゃついていたという情報があがり、一部のヲタが反応していたものの、ソースとしてあげられていた一般人の日記がおそらく捏造であることが暴かれたことと単にスタッフと親しく話していただけという目撃談があがったことから、アンチの工作ということで、このネタはすでに沈静化している。

ヤンタンに対してのさゆヲタの反応はさまざまだが、中には降板を希望する極端なものもある。オレはこの番組がさゆのトークスキルを上げる良い勉強の場だと思っているし、何よりもさゆ本人が前向きに取り組んでいるため、ぜひ応援してあげたいというのが基本姿勢である。ただし、先週のようにセクハラ発言がキツかったり本人が精神的に凹んでいるのに執拗に同じネタを繰り返すことの対しては、正直疑問を持った。さらにさんまやヤンタンのことを調べているうちに、さんまが過去に何人ものアイドルや女優を精神的に追い詰めたあげく泣かせていることや、笑いを取るためには相手が嫌がっていても執拗に弄ってくる点などを確認し、かなり不安になった。それでは、さゆは今後これにどう対処していけばいいのだろうと考えた結果、やはりさゆ本人が語っている「収録は戦場に行く気分」を地でいくべく、さゆなりのバトルを仕掛けていくべき、という結論に至った。

しかし、相手はキャリアの長い押しも押されぬ人気芸人であり、何よりもこの番組のメインパーソナリティーである。気分を損ねては元も子もない。いったいさゆにどのような戦い方が有効なのだろうか。正直、そこまでは考えることができなかった。というか、さゆが元気でいるかどうか、そればかりが心配で仕方なく、そこまで考える精神的余裕がまったく無かった。

さて、以下の番組内容に関する記述は、すべて番組の実況及び関連スレッドをソースとしていて、音源はまだ一切聴いていない。よって、事実と異なる部分もあるかもしれない。しかし、これだけは今日のうちに書いておきたかった。

明石家さんまが女優の長澤まさみのことをとても気に入っていて、秋からはドラマで競演することについては、この番組でも度々語られてきた。しかし、先週は長澤まさみの熱愛報道がマスコミを賑わせ、番組はこの話題からスタートした。おそらくこの話題からの流れだったと思うのだが、さんまがさゆに「お前オレと付き合ってもええって言うとったもんな」というフリをしていたらしい。これは、何回か前の放送で、さゆが恋愛に年齢は関係ない、さんまさんやショージさんでも恋愛対象になりうるという発言をしたことを指していると思われる。オレとしては、平均年齢が高いと言われるさゆヲタに夢を与えるアイドルとして正しい発言と評価しているのだが、もしかすると全くの天然かもしれない。これに対し、さゆは「これを機に私に乗り換えませんか?」と切り返したというのだ。これがスレッドで波紋を呼んだ。

番組を実況するスレッドでは「さゆつえーーーー」「さゆwwwwww」「道重はさすがやな」「さゆおもすれー」「今日のさゆのさんまおちょくりが冴えてるな」「さゆいい切り込みしてるよ」「さんまは道重に動揺か」などの書き込みが乱舞する。一方、おそらくアンチの仕業だと思うのだが、番組中に「さんまと付き合う気満々の道重」というスレッドが立ち、ここに番組を聴いていない住人が集まってくる。さらにさゆみん本スレもヲタ、アンチ、工作員入り乱れてのまさしく戦場の様相を呈する。「さゆに裏切られた」「ヲタやめるわ」といった内容のアンチの工作なのかマジヲタなのか判断しかねる書き込みが増え始める。

さらにさゆが番組中でRADWIMPSというバンドの名前を挙げたことにも、なんでさゆがこんなバンド知ってるんだとか男の影響かといったマジヲタか工作員かよく分からない書き込みが集まってくる。アイドルヲタであるがゆえのスリリングかつエキサイティングななんとも言えない感情。天然なのか計算なのか、ヲタをこんな気持ちにさせてしまうさゆは、まさにアイドルオブアイドルや!

さゆは以前から「セクシー担当」を目指すと言い出したり、「ハロプロやねん」のオープニングで「今夜はさゆみの色っぽいトークで眠らせないぞ」と言ってみたり、小悪魔に憧れるという発言があったりと、理想とするセルフイメージの中にかわいいお色気があることを匂わせていた。オレの脳内におけるさゆにもこのキャラ設定はすでにあったため、今回の発言についても不快には感じないし、むしろかなり刺激的に感じた。しかし、さゆに純粋無垢で清純派のイメージを投影していたヲタにとっては辛い発言かもしれないし、その気持ちも分からないでもない。しかし、まさかさんまを本気で誘惑しているわけではないだろう。

ここからは完全なオレの妄想なので、ぜひ軽く流してほしい。思うに、先週の収録の後で、さゆはさゆなりに葛藤したと思うのだ。チャンスに食らいついていこう、番組を面白くしようとする積極的な姿勢で挑んだが、結果的に精神的に凹んでしまう結果になった。だとしたら、今後どうしていけばいいのか。そして、やはり収録は戦場に行く気分であり、だとしたらさんまさんに対抗する武器として自分は何を持ちうるだろうと。その結果が今回の発言だと思うのだ。オレはまだ音源を聴いてはいないし、ただの天然だったのかもしれないが、そう考えたほうが感動的なのだ。今週のこんうさピーがいつ収録されたのかは定かでないが、あれが先週のヤンタン収録以降であったとしたら、随所にみられたドSみんの片鱗にも合点がいくというものだ。

番組後半ではさんまもすっかり忘れていた先週の親方ネタが蒸し返されたらしい。愛ちゃんはまた怒っていたらしいのだが、さゆはそれを受け入れ、軽くこなしていたという。強くなったな、さゆ。よく頑張ったよ。

さゆの葛藤と成長をヲタとして体験できる喜びを誇りに思う。さゆのことが好きでほんとうに良かった。ありがとう、さゆ!!

おやさゆみんノシ

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オレは道重さゆみになにを求めているのか

思い出は案外といい風に変えてるもので、過去の記憶は時が経つにつれ、より美しいものへと加工されていく。中学生や高校生の頃というのは実のところ、屈辱と無力感に満ち溢れたものだったはずなのだが、いま思い出そうとすると、悪いことはあまり覚えていない。この頃の風景として鮮明に覚えているのは、授業でも部活でも学校行事でもなく、なぜか放課後の教室である。仲間たちと他愛のないくだらない話を、窓から差し込む日差しが色を変え、やがて闇へと消えていくのも気にせずに、いつまでも延々と続けていた。オレたちはあの時、いったいなにを伝えたかったのだろう。

勝ち気で生意気な女の子たちがいた。もう名前も顔の輪郭すらもうまく思い出せない。学校の成績はオレのほうが少しよかったのだが、話していると明らかに向こうのほうが頭がいいことが分かる。音楽や映画や小説のことなど、彼女たちは饒舌で、内容はころころと変わる。オレが論理や理屈で理解しようとしても、すぐにスルリと逃げていってしまう。まるで魔法のポケットにでも閉じ込められたかのように、その時間は秘密めいていて、他の誰にも入り込むことはできない。

甘いお菓子やかわいいお店、か弱さとたくましさ、子どもっぽさと計算高さ、信じられないくらいやわらかい場所、女の子はいつもオレが知らない素敵なものをたくさん教えてくれる、とても不思議で素晴らしい存在。だからずっと日が暮れるまで、おしゃべりをしたり、振り回されたりしていたいのだ。ぜひそうするべきだし、しなくてはいけない。

いくつもの夏が無残にも通り過ぎていったのだが、オレの女の子観というのはいまだにそういうものであり、おそらく死ぬまで変わりはしないだろう。それが現実に問題を生じさせる。しかし、オレはこのリアリティーから永久に逃れることはできない。きわめて現実的な性愛を奨励する風潮がいくらはびころうとも、これは変わらない。時代遅れで気持ちが悪い。でも、それは仕方がないこと。とびっきりの女の子と本屋さんで待ち合わせをしないと。それが人生の価値。

オレはこの先、家庭も壊さなければ子どもをつくることも無いだろう。現在続けられている生活を、なるべく嫌な思いをさせないように、自分が極力傷つかないように、小さくて確実な幸福感を日々積み重ねていくのだろう。すべての問題の本質はきわめて個人的であり、愛は負けるが、親切は勝つ。そういうものだ。やれやれ。

相手をを思い続けることによって、そのイメージは意識の中で結晶化し、それはもはや相手のの本質とは無関係に、オレの意識に存在するようになる。生活や関係という退屈を回避して続けられる萌えという精神充足活動は、このようにして成立している。高度な結晶化による現実の超克、そして新しいリアリティーの獲得こそを命題とするやり方。

道重さゆみが生まれ育ったと思われる山口県の町を訪ねた。知識や情報の断片を組み合わせ、パズルを完成させていくかのような作業。フジグラン宇部という商業施設は、道重さゆみがかつてよくプリクラを撮りに行っていた場所らしい。それすらもネットで誰かが書き込んだ情報にすぎず、それがどの程度ほんとうなのか定かではない。しかし、そんなことは問題ではない。ファンタジーの質を高め、それをリアリティーに変換するのだ。地方都市のごくありふれた家族、休日の買い物というきわめて凡庸なシチュエーション。オレがあんなにも回避しようとしていた小市民的なありきたりの幸福。その想像がなぜオレを悲しくさせる。人生は選択の連続であり、現在はオレが好き好んでやってきたことのとりあえずの帰結。もしもなんていうことはありえないし、考えてはいけない。それならば、なぜに泣く。

道重さゆみは今後どのようなタレント活動を続けていくのだろう。それは本人が家族や事務所と話し合って決めていくことだ。ほんとうに大切なことを見失わずに、ぜひ最高にしあわせになってほしいと願う。オレはいつまで道重さゆみの成長や葛藤を見続けることができるのだろう。いつか必ずその日はくる。

未来への期待が、日常を生きる価値があるものにする。オレは古いタイプの人間なので、終わりなき日常なんていうのは生きられない。やろうとしてみたが、ダメだった。そして、すれっからしのペシミストを目指した。しかし、それは切ないし悲しい。おいしいものを食べたり、かわいいものを集めたり、目の前のことに一生懸命になったり、そういうことをもっと真剣にやらなくてはいけない。オレにとって道重さゆみとはそういうものであり、その日までになんとかしなくてはいけない。

おやさゆみんノシ

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