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今週のヤンタンを聴いて思ったこと

道重さゆみは4日間ほどの夏休みをもらい、山口県の実家に帰っていたようだ。ここ最近は特に多忙だったから、リフレッシュするよい機会になったのではないだろうか。お爺ちゃんやお婆ちゃんがたくさん料理をつくってくれたり、すこしのんびりしたせいで、すこし顔が太ってしまったようだ。番組では明石家さんまがこれを指摘し、面白おかしくネタにしていく。更に番組中盤のコーナーで、リスナーが道重さゆみの得意なモノマネを質問する投書があり、これに対して、道重さゆみは特にそういうのは無いと答える。ここで明石家さんまは先程の太ったというネタを蒸し返し、豚や高砂親方やデブタレントの内山信二のモノマネを強要する。高橋愛がこれを止めようとするが、道重さゆみが頑張ってこれにのっかろうとするため、面白がったさんまはさらにエスカレートする。村上ショージやスタッフも笑っていて、番組的には盛り上がっていたようだ。

更にコーナーが変わってもさんまは道重さゆみを親方と呼び、さらに道重さゆみに胸はあるんだろとかバストのサイズを聴いたり、高橋愛の胸が小さいと指摘したり、中小企業のセクハラオヤジ的な品性と感性がまったく感じられない低レベルのトークを繰り広げる。道重さゆみに胸をもっと大きくしろという話もしていた。今週の放送では、オープニングのトークでも、明石家さんまがクラブかどこかの女性の胸をさわっていた写真が週刊誌に掲載されるという話を延々と嬉しそうに話していた。

この放送の内容は音源を聴く前から掲示板のスレッドで読んでいて、それからずっと気がかりで仕方がなかった。これに対してオレがどうすることもできないことが悔しくて仕方がない。

道重さゆみはほんとうによく頑張っていた。与えられたチャンスを最大限に生かそうと、また、先輩の大物タレントから少しでも多くを学ぼうと、いつも以上に一生懸命だった。これはさんまも認めているところだ。普通のアイドルならばのっからなくてもいいようなネタである。高橋愛もたまらず止めに入ったくらいだ。それでも、さゆみんはのっかっていった。さんまは道重さゆみを根性が座っていると評価しているが、これで歯止めが利かなくなったのだろう。通常ならば、10代のアイドルにこんなネタをふったところで、嫌がられて終わりだ。そこでネタは完結するのだ。これに果敢にのっかってきた道重さゆみに対して、お笑いが本職の芸人としてはこうするしかなかったのだろうか。実際に番組中で最も盛り上がっていたのがこの部分だったことは事実である。

しかし、国民的人気を誇る大物芸人が公共の電波で10代の女性に対してこのような発言をすることが容認されている現実に暗澹たる気持ちになる。アンダーグラウンドやアダルト的な番組での汚れ仕事ならばまだしも、これは無いだろうと思う。オレが働かせてもらっている会社ではセクハラ講習会というのが定期的に行われていて、異性の従業員に性的発言や容姿のことを直接言うのはもちろんのこと、本人に直接関係が無くてもそのような類の発言を職場で行うこと自体が環境悪化型の性的いやがらせとして、厳しく戒められている。このような状況に日本もやっとここまで意識が高まってきたのかと安心していたのだが、こういう放送を聴いてしまうとなんというかもう絶望的な気分になる。しかも、その対象がオレの最愛の人なのだから。もう本当に腸が煮えくり返っている。しかも、途中まではなんとか対応していた道重さゆみもさすがに耐えられなくなり、何度も嫌がっているのに、更にこのネタを続けるという、これは明らかに嫌がらせである。おそらくさんま自身に悪気は無く、番組を面白くしたい一心、また、道重さゆみに対してもタレントとしての能力を鍛えてやっているくらいに思っていることだろう。これは古いタイプの日本の年寄りにはよくあるパターンで、オレも日常的にそういうものにはうんざりさせられているため、仕方のないことなのだろう。つまり今後もこのようなことは何度も起こりうるということだ。では、それに対してどのような対策を取るべきかということである。

耐性を強化するというのが結論となるのだが、実はこれはとてもナイーブな問題である。もちろんここで問題にしているのは、オレ自身の耐性ということではない。そんなものは取るに足らないし、道重さゆみに感情移入し、同じ苦痛や屈辱を生きることは、オレにとってはむしろ充実した体験である。明石家さんまに対して先輩の芸能人としてのリスペクトはぜひ持っていてほしいが、古いタイプの日本の老人というものはこういうものなんだというある種の諦念を身につけてほしいのだ。いちおう言っておくが、明石家さんまに先輩の芸能人としてのリスペクトを持っていてほしいというのは、もちろんさんまのためにではない。道重さゆみの数多い美徳のひとつである他人の良い部分を見ようとする心というのはぜひ保持していてもらいたいのだ。ある側面だけを見て単純にその人を判断するようなふうにはなってほしくない。先輩の大物芸能人としての凄さは尊敬しつつも、古いタイプの日本の老人としてのどうしようもなさには憐憫をもって対応できるようになれればよいと思うのだ。オレ自身はこういうタイプの価値観は存在するし仕方ない、自分はそうならないように、なるべく関わらないように、やむをえず関わった場合にはありったけの軽蔑と不快感を相手に分かりやすく表明することにしているのだが。

逆に同化してさんまを喜ばせるような対応はけしてしてはならない。タレントとしてのやる気、先輩の大物芸能人としての尊敬などはどんどんアピールしていけばいい。しかし、それとこれとは別である。性的いやがらせに対しては毅然とした態度で対応してほしい。などと安全な場所から無責任に言っているのだが、実際にはとても難しいのは百も承知だし、こんなことくらいしか考えられない自分の無力さが嫌でもある。

なんだかとても嫌な放送で、できればこの回はもう2度と聴きたくない。しかし、道重さゆみの葛藤のドキュメントが深く刻まれた回であることも間違いない。チャンスを生かしたい、番組を面白くしたい、さんまさんに認められたいという前向きな姿勢。しかし、自分自身の大切な価値観のとても深い部分で拒絶する感情。この二つの間で引き裂かれそうになっているさゆみんを想像すると、たまらない気分になる。

セクハラトークの直後、「村上ブログ」のコーナーでは、高橋愛も道重さゆみもリスナーの投稿を読む時にいつも以上に何度も失敗していた。高橋愛と道重さゆみは幻想文学の本を貸し借りするような仲である。高橋愛は宝塚マニアで、道重さゆみは王子様とお姫様の物語などをこよなく愛している。さんまとメールを交換しているような飲み屋のお姉ちゃんとは訳が違うのだ。この精神ダメージはそうとうなものだったと思う。また、さんまがそれにまったく気付いていなさそうだったのも無性に腹が立った。高橋愛と道重さゆみには、世の中の男が全員こんなものだなどとは絶対に思わないでほしい。特に二人を真剣に応援し、この放送に胸を痛めている多数のヲタに対しては。

なんだか今日はどれだけ文章を連ねても釈然としない。とにかくオレももっと頑張らなくてはダメだ。

またしてもイタい文章で締めるわけだが、今回の体験によって、オレがこれほど深く道重さゆみのことを思っていることが確認できたことはうれしかった。

だいじょうぶ。きっとうまくいく。いつか笑いとばせる日がくるだろう。信じていれば願いは叶う。

「悲しみはそのうち 忘れることができる あきらめず進もう その自分のために 思い出は案外といい風に変えてるもので 大切に育てよう その自分のために」-重ピンク、こはっピンク「宝の箱」

おやさゆみんノシ

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コメント

いわれてる通り顔が太った話と旬な事があるので、余計相撲ネタにいった気がします。
ハロモニでさとう珠緒のものまねをしてコージー冨田さんから合格をもらってましたが、この時は忘れてしまったようです。

投稿: 全弱 | 2007年8月13日 (月) 15時46分

うん。それは分かっているんだが、実に悩ましいわけである。悩ま重。

投稿: gag_hiyokko | 2007年8月14日 (火) 02時19分

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