ビートルズと私。
今週、ビートルズのアルバム14タイトルのリマスター盤が発売ということで、不況にあえぐCD業界は久々の祭に色めきだっている様子である。私はオリジナル・アルバムのほとんどとベスト・アルバムをすでにCDで持っていて、今回も購入の予定はいまのところ無い。だがしかし、サンプル音源を聴いた方によると、埋もれていた音なども結構あり、かなり違った聴こえ方がするとのことである。私は元来、いい音楽とはどんなに音質が悪かろうとよく聴こえるものだと思っていて、たとえば海辺に寝そべりながらつけていた雑音混じりのAMラジオから偶然流れて来た曲が素晴らしくて、思わずボリュームを上げてしまったというような、そういうのが好きなのだ。私の中学高校時代というのはオーディオ・ブームみたいなものがあって、アンプ、チューナー、プレイヤー、スピーカーとかをそれぞれ別のメーカーの物で揃えて、最高の音質を追求するみたいなのが流行っていた。当然、カネもかかる。そういうのに凝っている友人は、パイオニアのシステムコンポで聴いている私をバカにしていたが、音質にはこだわらないからとにかくレコードを少しでもたくさん買ってたくさん聴きたいという思いの方が強かった。オーディオ機器にこだわってかなりカネをかけているという友人の家に行ってみると、持っているLPレコードが中森明菜とシャカタクだけというようなこともあった。いや、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」は名曲だし、シャカタクの「ナイト・バーズ」は私のiTunesにも入っているけれども。
ビートルズは私が本当に幼い頃にすでに解散しているので、リアルタイムでの記憶は一切ない。私の父は若かりし頃、レコード収集を趣味にしていたようだが、ほとんどがジャズであり、その中にもビートルズは無かった。なぜだかジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」のドーナツ盤や叔母の物らしいモンキーズの4曲入りEP盤などはあったのだが。よって、家のステレオでビートルズを聴いたという記憶はない。後になって思うと、「ひらけ!ポンキッキ」で「ハード・デイズ・ナイト」だとか「オブラ・ディ・オブラ・ダ」だとかがかかっていたような気がする。また、私が本当に小さい頃、テープというのはオープンリールという物であり、カセットテープが出た時はかなり画期的だったらしい。家にごく初期のカセットテープがあったのだが、それは片面だけが録音できるようになっていて、もう片面にはカセットテープについての解説みたいなものが録音されていた。その中に、誰だかよく分からない人たちがコピーしている「ハード・デイズ・ナイト」が収録されていて、それで曲だけは知っていたりもした。
小学校高学年の頃に「サタデー・ナイト・フィーバー」などによるディスコ・ブームがあり、深夜放送などを聴くようになっていた私は、ビー・ジーズ、シック、アース・ウインド&ファイヤーなどの洋楽にも興味を持ちはじめる。しかし、なかなかレコードを購入するまでには至らず、買っていた物といえば、サザンオールスターズや榊原郁恵のシングルだったり所ジョージのファースト・アルバムだったりした。そんな中、ニュー・ウェイヴのポップ化という現象もあり、中でもナックの「マイ・シャローナ」やブロンディーの「コール・ミー」なんかが日本でもめちゃめちゃ流行り、ディスコに接近していくような部分もあった。
1980年1月、ポール・マッカートニーが成田空港で大麻所持のために逮捕された。このニュースは、新聞などでも大きく報じられた。これによって予定されていた日本公演は中止になった。当時、私はビートルズやポール・マッカートニーの曲などはほとんど知らなかったのだが、やはりこれだけ大きく報道されたということと、ちょうどそろそろ洋楽もちゃんと聴きはじめようかなと思っていた頃であり、このポール・マッカートニーという人物に興味を覚えた。そして、数ヶ月後に発売されたのが「カミング・アップ」というシングルである。当時の流行であったニュー・ウェイヴ風味が取り入れられ、ポール・マッカートニーのソロ作品の中でもかなり異質な部類の作品である。ポール・マッカートニーのファンの中で、この曲を代表曲に挙げる方はなかなかいないだろう。しかし、ラジオでしょっちゅう流れたり何かのテレビ番組で当時はまだ珍しかったプロモーション・ヴィデオを見たりするうちにすっかり気に入ってしまい、当時通っていた旭川市立光陽中学校の近くの小さなレコード屋さんでシングル盤を買った。これが私が生まれてはじめて買った洋楽のレコードである。
それから、NHK-FMの「軽音楽をあなたに」で聴いて気に入ったビリー・ジョエルのLPレコードを買ったりして、少しずつ洋楽を本格的に聴くようになるのだが、そんな中、その年の12月に飛び込んできたニュースがジョン・レノンの射殺である。これはテレビも新聞もかなり大きく取り上げていて、ポール・マッカートニー逮捕時の比ではなかった。しかし、これまたこの時点で私はジョン・レノンの楽曲を一切知らない。あの有名な「イマジン」ですら知らなかった。ところがやはり何かとても魅かれる物があり、FMラジオで放送された追悼番組をカセットに録音して何度も聴いたり、インタヴュー集を買って読んだりした。翌年正月のお年玉で、遺作となった「ダブル・ファンタジー」のLPを、行きつけのミュージックショップ国原で買った。同じ日に柏原よしえのファースト・アルバムのカセットなんていうのも、なぜだか買ってはいるのだが。
「ダブル・ファンタジー」からのシングル・ヒット、「スターティング・オーヴァー」「ウーマン」「ウォッチング・ザ・ホイールズ」などは、激しさはないが、とても優しく美しい曲である。このアルバムには、ジョン・レノンと小野洋子の作品が半々に収録されているのだが、小野洋子のいくつかの楽曲は当時の中学生には難解で過激すぎた。特に「スターティング・オーヴァー」の次に収められたA面2曲目の「キス・キス・キス」は、曲の途中に小野洋子が「あなた、抱いてよ、ねぇ」などと日本語で激しく喘ぐ部分などもあり、とてもじゃないが親がいつ入ってくるか分からない部屋で聴けるような代物ではなかった。よって、このアルバムは通してはあまり聴いていない。
ジョン・レノン追悼番組として、ビートルズを特集した番組などがテレビで放送され、それによって私は初めてビートルズをちゃんと見て聴いた。「抱きしめたい」などの初期の曲のインパクトがやはり凄いし、泣きながら歓声を上げる女性ファンの熱狂ぶりにも驚いた。この曲とビジュアル両方同時に社会現象としてのビートルズが初体験だったというのは、なかなか正しかったのかもしれないな、と後になってから思う。
あと、重要だったのが当時の担任の英語教師である。本当に変わった人で、1年に1回丸坊主に近いぐらい髪を切り、どんどん伸びていって、長髪に近くなったぐらいでまた丸坊主に近いぐらいに切る、というのを毎年やっていた。また、宝くじを毎回買っていて、当たったらすぐにでも教師を辞めるということも公言していた。年度のはじめには、生徒たちに向かって、そこにいる誰もが何億もの精子から選ばれたエリートなのだから、誇りを持てというようなことを訴えていた。英語の教科書は2学期までですべて終わらせた。3学期は何をやったかというと、ビートルズの曲の歌詞について学び、意味を理解した上で全員で歌うということをやっていた。それぞれが辞書で単語を調べ、解釈している間、教室にラジカセからビートルズのコンピレーション・カセットが流れていた。あの先生は本当に好きだったし、以後、私が英語を本格的に学ぶきっかけにもなった方だ。いまどうしておられるのか。
高校1年の冬、ミュージックショップ国原だったかファッションプラザOKUNOの地下にあった玉光堂だったか西武百貨店B館2階にあったディスクポートだったか覚えていないのだが、ビートルズ初期のベスト盤「1962年-1966年」、通称赤盤を買った。名曲が次から次へと飛び出す夢のような2枚組LPで、限定盤だったか何だったか不明なのだが、盤面が赤いスケルトン仕様になっていて、かなり感動した。これを買った日は真冬で、弟と妹と3人で旭川市街地に来ていた。その後で、すでに両親が行っている神楽町の祖母の家に行くことになっていた。そっち方面のバスに乗ったのだが、どうやら路線を間違えたことに気付き、途中下車して徒歩で行くことにした。川沿いを歩いて行ったのだが、猛吹雪で前方がほとんど見えない上に、どうやら道を間違えたらしく、手はかじかむし体温はどんどん奪われていくし、本当に死ぬんじゃないかと思ったのだが、どうにか祖母の家にたどり着いた。このことを強烈に覚えている。
それ以降は同時代の新譜を追いかけることに忙しく、自由に使えるおカネもそれほど無かったので、ビートルズの過去の作品を遡って聴くようなことはなかった。高校を卒業し、上京、大学に合格した春に初のCDプレイヤーを購入した。町田の丸井で赤いカードを使って買ったのだが、同じ日にすでにLPで持っていたスタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」、カセットで持っていたRCサクセション「ハートのエース」も買った。その翌年に、ビートルズの作品が初CD化され、当時毎月買って読んでいた「ミュージックマガジン」などでも大々的に特集が組まれたりもしていた。アルバイトをしていてお小遣いもそこそこあったので、これはいい機会だと思って、順番に買っていくことにした。確か、何タイトルかづつ順番に発売されていたのだと思う。ところが4枚目ぐらいで飽きてしまった。この時期の有名曲はすでにベスト盤で持っていたというのもあるのだが、それ以上に、当時、趣味がヒップホップとかレア・グルーヴとかそっち方面に移行しつつあり、あまり積極的に聴く気分ではなかったというのもある。しかし、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だけは買った。ビートルズの数ある作品の中でも最高傑作といわれ、ロックの歴史を変えたといわれる作品である。いまならばインターネットでサンプル視聴したりいろいろと聴く手段はあるのだろうが、当時の環境はそんなにもお手軽なものでもなかった。また、私は表向きパンク/ニュー・ウェイヴ~ヒップホップという音楽遍歴である体を取っており、周囲もそのような価値観の方が多かったため、その環境においては、ビートルズのレコードを聴くということがあまりカッコイイことではなかったのだ。そういう事情もあり、誰かから借りて聴くということもなかった。よって、この時点でこのアルバムの音源は一切聴いていなかった。
家に帰ってCDトレーにディスクを入れ、いざ再生。緊張の一瞬である。どんなに斬新な音楽が飛び出してくるのか。それまでにいろいろなディスクガイドや音楽雑誌などで読んだ知識から、妄想と期待は相当に膨れ上がった。正直言って、肩透かしだった。これただのロックじゃねえか、とも思ったし、ズンチャッズンチャッというような牧歌的なリズムの曲などは単純にかったるいと思った。いや、確かに優れた作品である。「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などはもしかするとビートルズの最高傑作かもしれないし、「ルーシー・インザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」のサイケデリック感覚も素晴らしい。しかし、その時は妄想や期待の方がかなりハードルを上げてしまっていたのだ。それと、やはり同時代性というのはとても重要だな、とも思う。たとえば、セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」もあれだけさんざん過激だとか従来のロックを殺したとかいわれていて、初めて聴いたのが修学旅行のフェリーの中、同級生のウォークマンでだったのだが、良質のポップなロック・アルバムにしか聴こえなかった。ジョニー・ロットンの独特なヴォーカルは確かに唯一無比の物なのだが、私はすでにピストルズを聴かずしてPiLのレコードは持っていたりしたもので。そういうのが当たり前の時代だったのだ、たまたま。
だから、発売当時のインパクトというのはすごかったのではないかと思うのだが、実はあまり感心はしなかったと、当時は。パンク、ニュー・ウェイヴ、エレ・ポップだとかヒップホップだとかプリンスだとかを聴いてしまった耳で、60年代と同様の感覚で聴けという方が土台無理な話だ。「サージェント・ペパーズ」は絶賛しなくちゃならないみたいな空気の中で、当時PRESIDENT B.P.M.名義でヒップホッパーとして活動していた近田春夫だけが、私と同様の感想を書いていた。近田春夫は、当時音楽批評誌ではケチョンケチョンに貶されていたジョージ・マイケル「FAITH」を素直にカッコイイと認めていた唯一の「ミュージックマガジン」周辺の人物として、私は一目置いていた。というか、「オールナイトニッポン」や「星くず兄弟の伝説」を含め、この人の活動言動は以前からポップで好きだったのだが。
「サージェント・ペパーズ」にあまり感心しないまま、たまたまおカネがある時期だったのか、次の「ザ・ビートルズ」、通称「ホワイト・アルバム」も続けて買った。ところが、こっちにはズッポリハマってしまった。それぞれのメンバーが勝手にやった曲が多いということなのだが、ここが楽曲のバラエティーやポップと前衛のバランスになっていて、当時の私の感覚にもピッタリフィットした。同じ頃に出たプリンスの「サイン・オブ・ザ・タイムス」が同じような感じですごいと思っていたことも関係があるかもしれないし、その後、デ・ラ・ソウル「3フィート・ハイ&ライジング」やピチカート・ファイヴ「月面軟着陸」のようなタイプのバラエティーに富んだアルバムを愛好する傾向にも影響を与えたと思える。
当時、聴いたことはないんだが実は好きなんじゃないかと思っているアーティストにトッド・ラングレンがいたのだが、たまたまバーゲンに出ていたので、適当にLPを買って来た。ところがそれは実はトッド・ラングレンの代表作でもなんでもなく、片面が好きな曲をとにかくカヴァーしたという企画盤に近いものであった。ちなみに、「フェイスフル」というアルバムなのだが、この中に「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のカヴァーが収録されていた。キーボードの印象的なイントロに続き、夢見心地な曲調、曲の最後まで音響効果のような物が駆使されていて、まさにポップの玉手箱のような作品だった。これ以外に、私の大好きなビーチ・ボーイズ「グッド・ヴァイブレーション」などもカヴァーされていたのだが、これなどはかなり細かい部分まで再現されており、すごく気に入った。ところが、この時点で、私はビートルズ本家本元の「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を聴いていないのである。つくづくおかしな入り方ばかりしている。調べてみたところ、オリジナル・アルバムには収録されていなく、後期ベストの青盤こと「1967年-1970年」、またはサントラEPとシングルをまとめてアルバムに仕立てた「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録されているということが分かった。どちらもあまり買うつもりがなかったのだが、芝公園の東京プリンスホテルでのアルバイトが終わって、六本木ウェイヴに行くと、西武ライオンズ優勝記念のセールを店頭で行っていて、「マジカル・ミステリー・ツアー」のLPを1,000円で手に入れることが出来た。
家に帰って再生してみると、これが素晴らしかった。オリジナル・アルバムではない寄せ集め的編集盤ということであまり期待していなかったのだが、まずB面2曲目に収録された「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」がやはり最高であった。トッド・ラングレンのヴァージョンでかなり気に入ったものの、やはりオリジナルである。ジョン・レノンの弱く優しいヴォーカルがたまらなく良い。ポップと実験性のバランスも私の趣味嗜好に合致するものであった。歌詞も現実逃避的ではあるのだが、幼少時の理想郷を回想しているようでもあり、ドラッグの影響下のようでもあり、とにかく気持ちがいい音世界であり、それまでのビートルズの印象とは少し異なった物であった。当時最高に好きだったプリンスやザ・スミスと同レベルで、本当にビートルズというバンドが好きだと思えたのは、この時だったように思える。
これ以外にもシングル曲を集めたB面には「ペニー・レイン」「ハロー・グッバイ」「愛こそはすべて」といった有名曲が収録されている。また、元々は映画のサウンドトラックとして制作されたEP盤が収録されたA面だが、こちらも地味ながらサイケデリックだったり実験的だったりするかなり面白い曲が多い。中でも、やはり「アイ・アム・ザ・ウォルラス」である。「僕はセイウチ」という意味だが、とにかくイメージの羅列のような歌詞がすさまじく、サビの「アイア~ムジエッグマン、アイア~ムジエッグマン、アイア~ムザウォーラス、ググーグジュー」という、意味はよく分からないのだが、明らかに存在する不安や恐怖に対する叫びみたいな凄味を感じ、一気にお気に入りの1曲となった。間違いなく邪道なのは百も承知なのだが、私にとってビートルズの1枚といえば、この「マジカル・ミステリー・ツアー」なのである。
![]() | マジカル・ミステリー・ツアー
アーティスト:ザ・ビートルズ |
それから、まだ買っていなかった他のアルバムも順番に揃えていき、「リボルバー」「ラバー・ソウル」の頃がやはり素晴らしいなとか、「アビイ・ロード」もなかなかいいぞ、というふうになっていったのである。映像集のヴィデオが出た時にはBOXセットを買ったり、BBCライヴの未発表音源のCDも買った。しかし、「アンソロジー」シリーズやシルク・ド・ソレイユのショーのサントラ「LOVE」は買わなかった。「LOVE」のショーそのものは、たまたま会社でラスヴェガスに連れて行ってもらい、見ることが出来て、えらく感動したのだが。
おそらくリマスター盤はよっぽどのきっかけが無い限り買わないとは思うが、これをきっかけにビートルズの音楽を改めて聴き直してみたり、思い出をたどってみたりしたのはなかなか楽しかった。まだビートルズのCDを持っていない音楽ファンには絶好のチャンスなので、ぜひ買ってみると良いと思う。私のおススメは「マジカル・ミステリー・ツアー」だが、やはりこれは邪道。世間一般的に評価が高いのは、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ」「リボルバー」「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」「アビイ・ロード」「ラバー・ソウル」「ハード・デイズ・ナイト」の順番だろうか。多少の順番は異なるかもしれないが、各種名盤リストの常連なのはこのあたり。また、オリジナル・アルバム未収録のシングルも多いビートルズだが、初CD化の時は、これらが「パスト・マスターズ」として2枚に分かれて発売された。今回はこれが2枚組として発売されるのだが、「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」「ペーパーバック・ライター」「ヘイ・ジュード」などはこっちの方に入っているので、これを入門編にするのもまたアリかもしれない。おカネに余裕がある場合は、思いきって35,800円のBOXセットを買っても間違いない。Amazonだといまなら29,020円で買えるみたいだ。オマケのDVDが付いているから再販制度にかからず、ゆえに値引き販売が出来るのだな。今回のリマスター再発シリーズには、赤盤・青盤や「1」などのベスト盤は含まれていない。また、音質にこだわらないのならば、今回のリマスター盤発売に伴い、以前のバージョンの中古盤が軒並み値下げされると思われるので、そちらを狙ってみるのも良いのではないかと思う。
| 固定リンク















