7月13日。
道重さゆみさん、20歳のお誕生日おめでとうございます。
という訳で上記のメッセージをとりあえず外の世界へ向けて発しておいた訳だが、当然の如く道重さゆみさんご本人がこんなところを読むはずもないので、ここからはしばらくぶりのチラシの裏にでも書いとけやという類いの文筆へとスライドする訳でございます。
道重さゆみのことが本格的に気になって極度にライトなファンといえる活動を開始してから、実に3度目の7月13日であり、この事実にまず驚いてしまうのだ。小学校高学年ぐらいからお気に入りのアイドルというのはいて、とはいってもせいぜい雑誌の切り抜きを集めたりラジオを聴いたりレコードを買ったりそんな感じで、ノリでファンクラブに入った人なんかも実はいたのだけれども、いつも目移りばかりしていて、こんなにも長い間一番なんていうことはありえなかった。
色々な趣味や興味が変わっていって、日本の芸能人だとかアイドルだとかにはほとんど関心が無い状態で約20年位を過ごしていた。モーニング娘。だとかハロープロジェクトなんていうのも自分とは一切接点が無いものだったのだ。
その偶然の契機については幾度となくここでも書いているのだが、2007年の2月位に本格的に道重さゆみを知った。それから過去の情報、映像、ラジオ音源等を、強迫観念でもあるかのように収集していった。
何かが擦りきれ死にかけていた中心を力強く抉るような力を、道重さゆみの存在だけが発揮して、意図せずして気付いてしまった。充足した生の獲得へ向けての不器用な葛藤そのものが美であることが出来、その状態を生起させ続けることこそが、すなわち生きることであり、この真実を道重さゆみだけが圧倒的な具体性を持って知らしめる事を可能とした。全ては私の脳内で起こったことであり、これが本物の生身の道重さゆみとどの程度の関係があるのかは定かではない。しかし、思想とか哲学とか宗教とかっていうのは、結局のところそういうものなのではないかと思ったり思わなかったりはするものだ。何を言っているのだ。
オーサカキングでの公開録音&TV生放送に道重さゆみが出演するという情報を聴き、何か大きな力に導かれるようにして、大阪行きの新幹線に乗っていた。生まれて初めての大阪であり、こんなきっかけでもなければ一生行っていなかったかもしれない。そこで本物の道重さゆみが実在するのだということをこの目で確認し、その後はよく分からない衝撃を受け、酷い悲しみが押し寄せてきた。それは道重さゆみが体現する完璧な正しさと当時の自分自身の心の闇とがあまりに隔たったものであることの残酷な認識であり、それはやがて覚醒へと至ったのだ。
道重さゆみの黒髪、色白という見た目もさることながら、収集しているという髪飾りであったり幼少時のことや地元や家族について楽しそうに話す声や言葉の選び方、こういったもののひとつひとつが、当時の私に欠けていて、また、そもそも私の精神の核の部分で正しく思っている価値観を再認識させてくれた。そして、私の人生に突然現れたこの10代の少女を育んだのはどのような環境なのだろうという関心から、翌週には山口県へと向かっていた。その田舎の風景と空気感は、いろいろな意味で私に忘れていた大切な感性を呼び戻した。誰もいないローカル線の駅のホームで、iPodで「宝の箱」を聴きながら見上げた夜空の確信を忘れることはない。
ヤングタウン土曜日アシスタントへの起用、初のソロDVD発売、写真集発売のペースアップ、今夜もうさちゃんピースの枠拡大(後に元に戻ったが)、単体でのテレビ出演ラッシュ、初のソロ曲、待望のブログ(「おじぎでシェイプアップ!期間中限定)、「ラジオライフ」インタビュー掲載、「フォトテクニックデジタル」表紙&美麗グラビアなど、この約2年間の間に、道重さゆみを取り巻く状況は変化していった。しかし、自分自身の持ち味はしっかりと失わず、その場その場を自分なりに最善を尽くそうという姿勢、それは結果として上手くいったりいかなかったりするのだが、それら全てを含めて、実に面白い。もちろん出演したテレビやラジオ番組は全て視聴している。「ダウンタウンDX」とか「秘密のケンミンSHOW!」とか山口県のローカル放送とかは、かつて私がぜひとも将来的に道重さゆみに出てほしい番組と思っていたものだが、これら全てへの出演を果たした以外に、「レッドカーペット」だとか想定外の「ロンドンハーツ」への出演など、本当に期待を超える活躍を次々と見せてくれる。しかも、道重さゆみの核の部分はブレずに、それで少しずつ活躍の場を広げていくという頼もしさだ。これには本当に元気が出る。
道重さゆみとはある概念であり、人生の理想や目指すべきものとしてある光というのが私の結論なのだが、ゆえに擬似恋愛とも異なり、愛玩すべき対象でもなく、私はおそらく道重さゆみになりたいだけなのだと思う。ヤバくなってきたので話題を可及的且つ速やかに変更する必要があるのでは。
昭和天皇が崩御し平成が始まった、中国では天安門事件が、そして田中れいなが生まれた11月11日にはベルリンの壁が崩れたりと、世界が激動した1989年。また、約3週間前には昭和の歌姫、美空ひばりが逝去、2日前には当時の人気女性歌手、中森明菜が自殺未遂、前日には東京ディズニーランドで「スター・ツアーズ」がオープン、当日は群発地震が発生していた伊東市沖合の海底が噴火した。アメリカではファイン・ヤング・カニバルズの「グッド・シング」、イギリスではソウルⅡソウルの「バック・トゥ・ライフ」がヒット・チャートの第1位だった。私は夕方ぐらいに起きて、渋谷で都バスに乗り換えて六本木WAVEに通い、帰宅すると間接照明が灯った薄暗い部屋で味噌をつけたレタスを齧り、ウォッカを舐めながら、いまではさっぱり内容を覚えていないドゥルーズ=ガタリだとかジヤック・デリダだとかの小難しい思想書などを読んでいたものだ。一方、山口県宇部市では、道重さゆみが生誕した。そして、それはこれまでに神が成し遂げた幾多の偉業の中でも、とりわけ素晴らしいもののひとつであった。






