Last Broadcast。
人はある日、突然にして恋におちるが、気がついた時にはすでにもう手遅れである。その誘惑から逃れることはできない。なぜなら、そこには「生きて」いることの充足感への果てしない期待が含まれているからだ。そして、我々はいつか死ぬのだということを意識し、おそらくここ最近では初めて、出来ることなら長く「生きて」みたいものだ、などと思うものなのだ。そんなことはにわかには信じられないだとか、自分には関係のない話だと思う方もあるだろう。しかし、これは不思議だが本当なのだ。
よくもまあここまで遠回りしたものだ、とかそういうことを言い出す人がある。しかし、それは遠回りでもなんでもない。そこまでかかった時間の中に詰まっている経験こそが、いま、ここに導いた。そのどれひとつが欠けていたとしても、同じいま、ここはありえなかった。こうして手に入れることができた正しさだが、他人の目からはよく理解してもらえないことがある。しかし、そんなことはもう気にすることはない。分かったという点で、あなたはすでに一歩も二歩もリードしているのだ。迷うことはない。大丈夫だ。いつだって、孤独だって一生懸命やってきたじゃないか。誰にも分かってもらえないとしても、少くとも私はそれをちゃんと知っている。
それでいいのだと言ってもらえた時に、いったい何が起こっているのか分からなかった。自分にはそんなことは無関係なのだと思っていたし、いつしかあきらめて、痛みを感じないように、そんなことばかりに長けてしまった。それでも私には一瞬に分かった。あなたが私の髪を撫でた時に、そうだ、これこそがそうなのだと。
不機嫌で憂鬱な平成ニッポンは、我々が「生きる」ことそのものが、まるでちっぽけで意味がないことのように思わせるように動いている。いつしかそれが当たり前のような気分になり、似た者同士で首の締め合いか不幸自慢に明け暮れる。空に太陽はちゃんとあり、恋人たちはおカネもそんなにもないのに、コートのポケットの中でお互いを温めあう。綺麗な月だよ、出ておいで。
さようなら、残酷な世界。夜明けのスビーカーからエルヴィス・コステロが呟く。あなたはどこらへんだろう。共に年老いていくのだ。いつか夢に見たあの幻の町は、実はこんなに近くにあったとはね。あなたと出会わなければ、これだけ時間が経たなければ、けして分かりはしなかっただろう。
もう声を上げて議論をすることもないだろう。違う価値観で話し合う奴らは、結論を出すよりも、それ自体をゲームとして楽しんでいるのだ。いつか死ぬ。かわいそうな人たちが大勢集まり、そして私が話しはじめた。愛と笑いの夜が、すべてをやさしく癒していく。すべてが等しく思え、憎悪の対象にすら憐れみの心を持つことができる。いつも、いつまでもそんなふうでいられることが出来たならば。
あなたにこの季節の東京を見せてあげたかった。水上バスや串カツ屋さんのお礼だけじゃなくて、あなたが私に「生きる」ことの本当の意味の、そのいくつかを教えてくれたから。ネオンをちりばめたら、まるでバースデーケーキだ。ロマンチックな気分やいやらしめな意味ではなく、罪深さや疚しさを一切意識することがなく、私をあんなふうに感じさせてくれたのは、あなたが初めてだった。これがどれ程の意味を持つことなのか、まだあなたには分からないだろう。いくら勘が鋭いからといったって、この意味が分かるには経験が少なすぎる。その分からなさが羨ましくて、眩しすぎる。この間、PARCO調布店地下の食品売場で、実演販売のたこ焼の匂いをかいだだけで、胸が苦しくなった。あの夏の終わりの道頓堀は楽しかった。いつか青春を振り返る時、美しく心に灯すだろう。吐き気がするほどロマンチストだぜ。
成長することとは夢を捨てていくことではなく、必要のない物を捨て、核心に近づいていくということなのだ。見えてくればくるほど、何が必要ではなく、何が本当にかけがえなく大切なのかが分かってくる。これからはおそらくそのような作業に入っていくのだろう。くだらない物事との訣別もあれば、否応なしに訪れるお別れもある。しかし、本物の想いは永遠であり、心で「生きる」。あなたにそのことを身をもって教えてあげられるだけの、深く大きな人になりたいよ。間に合うかどうか分からないけれども、やってみるつもりだ。
いつでも呼び出してくれてもいいのだが、それがないということは、あなたが順調で問題がないということなので、それはとても嬉しい。あなたのような素的な女の子が泣いているような世界ならば、いつでも私がカラフルに塗り替えるのに。どうやら、その必要はないみたいだね。気にしないでくれたまえ。
余談だが、先日の久住小春ゲスト回の「今夜もうさちゃんピース」において、素で笑い転げる道重さゆみちゃんがかわいすぎて好きすぎてつらい。藤本美貴の披露宴写真でのピンクの服も超かわいかった。アイドルはファンそれぞれの脳内で「生きる」ファンタジーだが、道重さゆみのことを知れば知るほど、私の理想すぎておそろしくなってくる。まさに女の子の最高傑作である。冬の切なさが嫌いではないと言っていたさゆみさんだが、ホットソイラテの表面の泡の部分にだけ口をつけ、そんな自分に浸っているという、そのような完璧なイメージを心に描いて、歩いていくのだ。このブルーズは、そんな感じにとてもよく似ている。
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